夾竹桃忌 (記念日 1月2日)

夾竹桃忌
忌日
1976年(昭和51年)1月2日
享年
63歳
出生地
山梨県南都留郡谷村町(現:都留市)
直木賞受賞
第24回(1951年)
文学碑所在地
福岡市能古島(1977年建立)
忌日の由来
生前に夾竹桃の花を愛したことにちなむ

「最後の無頼派」と称された小説家・檀一雄(だん かずお)が1976年(昭和51年)1月2日に没した忌日です。生前に夾竹桃(キョウチクトウ)の花を愛したことから「夾竹桃忌(きょうちくとうき)」と呼ばれています。

檀一雄は1912年(明治45年)2月3日、山梨県南都留郡谷村町(現:都留市下谷)に生まれました。1914年(大正3年)に父の退職を機に本籍地の福岡県・柳川へ移り、のちに東京帝国大学経済学部へ進学します。1933年(昭和8年)には同人誌「新人」を創刊してデビュー作「此家の性格」を発表し、太宰治や佐藤春夫らと交流を深めました。

1937年(昭和12年)に代表作のひとつ「花筐(はながたみ)」を刊行しますが、同年の日中戦争勃発で召集を受け、軍務終了後も帰国せず中国・満州を放浪しました。戦後は1950年(昭和25年)に先妻・律子の死を描いた連作「リツ子・その愛」「リツ子・その死」で文壇に復帰。1951年(昭和26年)には「長恨歌」「真説石川五右衛門」の2作で第24回直木賞を受賞しました。

1955年(昭和30年)から書き継いだ長編小説「火宅の人」は、完成まで実に20年を要しました。没後に第27回読売文学賞小説賞、第8回日本文学大賞を受賞したこの作品は、自らの放浪と愛憎を描いた私小説的大作として知られています。著書は小説にとどまらず、料理エッセイ「檀流クッキング」(1970年)のような異色作も残しています。

晩年を過ごした福岡市の能古島(のこのしま)には1977年(昭和52年)に文学碑が建てられました。碑面には辞世の句「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」が刻まれており、毎年5月の第3日曜日には「花逢忌(かほうき)」が営まれています。墓は故郷・柳川の福厳寺(ふくごんじ)にあります。長女に女優の檀ふみ、長男にエッセイストの檀太郎を持つ文士としての生涯は、波乱に満ちたものでした。

夾竹桃(英名:oleander)はインド原産で、江戸時代に中国を経て日本へ伝来した花です。葉が竹に、花が桃に似ていることからその名が付きました。

参考リンク

1月2日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 一粒万倍日
月齢 13.1

1月の二十四節気・雑節

  • 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
  • 大寒(だいかん) 1月20日(火)
  • 冬の土用(どよう) 1月17日(土)