善哉忌 (記念日 1月10日)
- 生年月日
- 1913年10月26日(大正2年)
- 出身地
- 大阪府大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐)
- 忌日
- 1947年1月10日(結核、享年33歳)
- 代表作
- 夫婦善哉(1940年)、土曜夫人(1946年)
- 文学的潮流
- 無頼派・新戯作派
- 同時代の作家
- 太宰治、坂口安吾、石川淳
33歳で世を去った作家が、これほど鮮明に大阪の匂いを残し続けているのは珍しいことです。昭和22年(1947年)1月10日、織田作之助は結核のため33歳の若さで死去しました。その短い生涯に、彼が書き残した作品の数と密度は、とても信じがたいものがあります。
代表作『夫婦善哉』(1940年)は、北新地の売れっ子芸者・蝶子と、安化粧問屋の若旦那で妻子持ちの柳吉が駆け落ちし、大阪の下町を舞台に転々と商売を試みては失敗する内縁夫婦の物語です。しっかり者の蝶子が甲斐性のない柳吉を養いながら、喧嘩と仲直りを繰り返しつつ別れずに生きていく。道頓堀の「法善寺横丁」に実在する甘味処「夫婦善哉」で、2杯に分けて出されるぜんざいを並んで食べる場面が題名の由来となっており、大阪の人情と庶民の暮らしが細部まで書き込まれた作品です。発表当時、遊蕩的な内容として発禁処分を受けたこともありましたが、大阪人ならではのユーモアと悲哀を描いた文章は多くの読者に支持されました。
大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐)に生まれた織田作之助は、1938年のデビュー作『雨』で同郷の先輩作家・武田麟太郎に注目され、以後精力的に作品を発表し続けます。
終戦後は太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に「無頼派」あるいは「新戯作派」と呼ばれました。既成の文壇秩序に距離を置き、型にはまらない文体と題材を選んだ一群の作家たちの中で、織田作之助は「織田作(おださく)」の愛称で広く親しまれました。戦後の混乱期、わずか1年余りで急逝するまでの間にも執筆の手を止めることはありませんでした。
1月10日の忌日は、代表作にちなんで「善哉忌」と呼ばれています。
1月10日の他の記念日
1月10日のカレンダー情報
1月の二十四節気・雑節
- 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
- 大寒(だいかん) 1月20日(火)
- 冬の土用(どよう) 1月17日(土)