あしなが育英会会長・玉井義臣氏が2025年7月5日に急逝
ベストカレンダー編集部
2025年7月6日 21:44
玉井義臣氏死去
開催日:7月5日
あしなが育英会会長 玉井義臣の死去
一般財団法人あしなが育英会の会長である玉井義臣氏が、2025年7月5日午前1時46分に東京都渋谷区の日本赤十字社医療センターにて急逝しました。享年90歳でした。
玉井氏の死因は敗血症性ショックであり、彼の突然の訃報は多くの人々に衝撃を与えています。葬儀は家族葬として行われる予定であり、ご遺族の意向によりご弔電、ご供花、ご香典については辞退されるとのことです。
また、あしなが育英会としては後日「お別れ会」(仮称)を開催する予定です。この会は、玉井氏の功績を称え、彼を偲ぶ場となることでしょう。
玉井義臣氏の経歴
玉井義臣氏は1935年2月6日に大阪府池田市で生まれました。彼の人生は、母親の交通事故死がきっかけで大きく変わりました。1964年にこの悲劇が起こり、彼は交通事故被害者の救済問題に取り組むようになり、日本初の「交通評論家」としての活動を開始しました。
1969年には、財界の重鎮である永野重雄氏や「交通事故遺児を励ます会」の代表である岡嶋信治氏の協力を得て、「財団法人交通遺児育英会」を設立しました。この団体は、交通事故によって親を失った子どもたちを支援するためのものであり、玉井氏はその活動を通じて多くの遺児に希望を与えました。
あしなが育英会の設立
1993年に玉井氏は、交通事故以外の原因で親を失ったすべての遺児を支援する新たな団体「あしなが育英会」を設立しました。この団体の副会長に就任し、1998年には会長に就任しました。
あしなが育英会は、国内外の遺児に対する支援を行い、特にアフリカのサブ・サハラ地域から優秀な遺児を選抜し、日本を含む世界の大学に留学させる「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」に邁進しています。この構想は、遺児が帰国後に母国の国づくりに貢献できるようにすることを目指しています。
玉井氏の功績と受賞歴
玉井氏の活動は、募金額が1,100億円以上に達し、高校や大学に進学した遺児は11万人を超えています。彼の努力は多くの遺児に教育の機会を提供し、彼らの未来を明るく照らしました。
2012年には、遺児の進学支援や東日本大震災での迅速な遺児支援活動、アフリカ遺児への教育支援構想に対して「世界ファンドレイジング大賞」を受賞しました。この賞は、彼の活動が国際的にも評価されたことを示しています。
さらに、2015年には「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」を受章し、2018年には「第12回後藤新平賞」を受賞しました。これらの受賞は、玉井氏が日本国内外での教育支援活動において大きな影響を与えたことを物語っています。
玉井氏の影響力
玉井氏の活動は、交通事故によって親を失った遺児だけでなく、様々な理由で困難な状況にある子どもたちに希望を与えました。彼の取り組みは、教育の重要性を再認識させ、多くの人々に感動を与えています。
あしなが育英会は、玉井氏のビジョンを引き継ぎ、今後も多くの遺児を支援し続けることでしょう。彼の存在は、多くの人々にとって大きな励みであり、彼の功績は永遠に語り継がれることでしょう。
まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 氏名 | 玉井 義臣(たまい よしおみ) |
| 生年月日 | 1935年2月6日 |
| 死亡日時 | 2025年7月5日午前1時46分 |
| 死因 | 敗血症性ショック |
| 出身地 | 大阪府池田市 |
| 主な業績 | あしなが育英会設立、交通遺児支援活動 |
| 受賞歴 | 世界ファンドレイジング大賞、エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章など |
玉井義臣氏の生涯は、教育と支援の重要性を示すものであり、多くの人々に影響を与えました。彼の功績を振り返りながら、今後も彼の志を受け継いでいくことが求められます。
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