義経忌 (記念日 4月30日)
- 命日
- 文治5年閏4月30日(1189年6月15日)
- 享年
- 31歳(満30歳)
- 最期の地
- 陸奥国衣川館(現・岩手県平泉町高館)
- 討手の将
- 藤原泰衡(兵500騎)
- 芭蕉の訪問
- 元禄2年(1689年)、没後500年
- 現在の史跡
- 高館義経堂(岩手県平泉町)
文治5年(1189年)閏4月30日、源義経は岩手・衣川の館で自ら命を絶ちました。享年31。壇ノ浦で平氏を滅ぼした武将の最期としては、あまりにも静かすぎる幕切れでした。
義経と兄・頼朝の関係が決定的に壊れたのは、平氏滅亡の直後です。朝廷から独断で官位を受けたことで頼朝の怒りを買い、義経は追討の対象となります。京から西国へと逃れ、やがて奥州・平泉へ身を寄せたのは1187年のことです。奥州藤原氏三代目・藤原秀衡はかつての主君の子を匿いましたが、翌年に秀衡が没すると状況は一変しました。後を継いだ泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を討つ決断をします。
閏4月30日の朝、泰衡の兵500騎が衣川館を包囲しました。義経の手勢はわずか十数騎。弁慶をはじめとする郎党たちは館の外で奮戦し、次々と討ち死にしていきます。義経自身は戦わず持仏堂に籠り、妻の郷御前と4歳の娘を手にかけたのち、念仏を唱えながら自刃したと伝えられています。
この地は現在、岩手県平泉町の「高館義経堂」として整備されています。北上川を見下ろす丘の上に立つと、松尾芭蕉が「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ風景が広がります。芭蕉が『おくのほそ道』の旅でここを訪れたのは元禄2年(1689年)、義経が没してちょうど500年後のことでした。戦乱の記憶が草むらに沈む景色を前に、芭蕉が涙をこぼしたと記しています。
義経の死後、「義経北行伝説」や「ジンギスカン伝説」が生まれたことは有名です。悲劇的な死に納得できない人々が、英雄の生存を夢想し続けた証といえます。命日にあたる閏4月30日を新暦に換算すると6月15日ごろとなりますが、俳句の世界では4月30日を「義経忌」として扱い、今も句が詠まれています。
4月30日の他の記念日
4月30日のカレンダー情報
4月の二十四節気・雑節
- 清明(せいめい) 4月5日(日)
- 穀雨(こくう) 4月20日(月)
- 春の土用(どよう) 4月17日(金)