葵祭 (年中行事 5月15日)
- 開催日
- 毎年5月15日
- 会場
- 下鴨神社・上賀茂神社(京都市)
- 行列人数
- 総勢500人超
- 起源
- 6世紀中葉・欽明天皇の時代
- 斎王代制度
- 昭和31年(1956年)創設
- 行列復興
- 昭和28年(1953年)
「祭」といえば葵祭をさす——平安時代の人々がそう口にしたと伝わります。正式名称は賀茂祭。下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭で、毎年5月15日に平安装束をまとった総勢500人超の行列が京都市街を練り歩きます。源氏物語の「車争い」の舞台としても名高く、王朝文化の精粋を現代に伝える行事です。
起源は6世紀中葉、欽明天皇の御代にさかのぼります。飢饉と疫病が相次いだ折、「賀茂の神の祟り」と判断した賀茂県主(かものあがたぬし)一族が族内の祭を執り行ったのが始まりとされます。7世紀後半には現在地に社殿が造営されて近隣の人々も参加するようになり、8世紀には国司が監督する公的な祭に格上げされました。石清水祭・春日祭とならぶ三勅祭のひとつとして、朝廷が行列の費用を負担する国家的行事に位置づけられたのです。
「葵祭」の名称は、社殿・牛車・行列の装束をすべて双葉葵(フタバアオイ)で飾ることに由来します。葵は賀茂の神の御神紋であり、物忌みのしるしとして用いられてきました。その慣習は現在も変わらず、参加者の冠や御所車には生の双葉葵が添えられます。行列は応仁の乱(1467年)をはじめとする戦乱で何度も途絶えました。江戸・元禄期(17世紀末)に再興されますが、明治維新でふたたび中断し、明治17年(1884年)に復活。さらに太平洋戦争中は行列が中止となり、社頭での神事のみが続けられました。現在の形に近い行列が復興したのは昭和28年(1953年)のことです。
行列の中心を担う「斎王」は、平安時代に未婚の内親王が祭に奉仕した制度に由来します。鎌倉時代に途絶えていたこの役割を市民祭として再現しようと、昭和31年(1956年)に一般女性から選ばれる「斎王代」の制度が設けられ、女人列が復活しました。斎王代は毎年京都ゆかりの女性が務め、十二単(じゅうにひとえ)に身を包んで輿(こし)に乗り行列の先頭近くを進みます。
行列のルートは京都御所を出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社に至る全長約8キロ。牛車・腰輿・馬など平安装束の一行が市街を移動する光景は、写真や映像では伝わりにくい規模感があります。沿道の有料観覧席は早期に埋まることが多く、上賀茂神社境内での「社頭の儀」は入場料なしで見学できる数少ない機会となっています。
5月15日の他の記念日
5月15日のカレンダー情報
5月の二十四節気・雑節
- 立夏(りっか) 5月5日(火)
- 小満(しょうまん) 5月21日(木)
- 八十八夜(はちじゅうはちや) 5月2日(土)