スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日 (記念日 8月23日)
- 制定機関
- 欧州議会(2008年)
- 日付の由来
- 1939年8月23日の独ソ不可侵条約締結
- 別称
- ブラックリボンデー
- バルトの道
- 1989年、約200万人・675kmの人間の鎖
- 強制移送規模
- 1949年だけでバルト三国から9万人超
- 秘密議定書の公式認定
- ソ連が存在を認めたのは1989年
1989年8月23日、バルト三国のエストニア・ラトビア・リトアニアの人々は手をつなぎ、3国にまたがる全長675キロメートルの人間の鎖「バルトの道」を形成した。
約200万人が参加したこのデモは、独ソ不可侵条約締結からちょうど50年目の日に行われた。1939年8月23日、ソ連外相ヴャチェスラフ・モロトフとナチス・ドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップがモスクワで署名した協定——通称「モロトフ=リッベントロップ協定」——は、東ヨーロッパを両国の勢力圏に分割する秘密議定書を含んでいた。フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド東部、ベッサラビアの帰属が、当事国の知らないまま密かに決定された。わずか1週間後、ドイツはポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まった。
協定の締結後、バルト三国はソ連に併合され、苛烈な弾圧が続いた。1941年6月の強制移送ではエストニアで約6万人、ラトビアで約3万4千人、リトアニアで約7万5千人が家族ごとシベリアへ送られた。1949年3月の「オペレーション・プリボイ」では、さらに9万人以上がバルト諸国から強制的に移送されている。氷点下のシベリアへの移送途中や到着後に命を落とした人々の数は今も正確には把握されていない。
「ブラックリボンデー」として知られるこの記念日は、1987年にカナダや米国のバルト系移民コミュニティが始めた抗議活動に端を発する。1989年の「バルトの道」で国際的な注目を集め、欧州議会は2008年に8月23日を「スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の欧州の日」として正式に制定した。2019年にはナチスとソ連の「2つの全体主義体制」による密約が第二次世界大戦への道を開いたとする決議も採択している。
この記念日が問いかけるのは、過去の記録と向き合うことの重さだ。協定の秘密議定書の存在はソ連崩壊まで公式に否定され続け、ソ連が認めたのは1989年のことだった。歴史の隠蔽が長く続いたほど、その後の記録と追悼は困難を伴う。8月23日という日付は、一枚の協定が数百万人の運命を変えた夜を指し示している。
8月23日の他の記念日
8月23日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)