天心忌 (記念日 9月2日)
- 忌日
- 1913年9月2日(享年50歳)
- 本名
- 岡倉覚三
- 主な著作
- 『茶の本』『東洋の理想』『日本の目覚め』
- 設立機関
- 東京美術学校(1889年)・日本美術院(1898年)
- ゆかりの地
- 茨城県北茨城市五浦(六角堂・天心旧宅)
- 天心祭主催
- 公益財団法人日本美術院ほか
「アジアは一つである」——岡倉天心がその著作『東洋の理想』に記したこの一文は、20世紀初頭の欧米社会に鮮烈な衝撃を与えました。天心忌は、明治期の美術行政家・思想家である岡倉天心(本名:岡倉覚三)が1913年9月2日に没したことを偲ぶ忌日です。公益財団法人日本美術院をはじめとする関係機関が毎年この日に天心祭(法要)を営み、その功績を顕彰しています。岡倉天心は1863年、横浜に生まれました。東京大学でアーネスト・フェノロサに師事し、日本の古美術保護と美術教育の振興に奔走します。1889年には初代校長として東京美術学校(現・東京藝術大学)の創立に尽力し、日本画・彫刻・工芸の各分野を体系的に教育する基盤を整えました。しかし1898年、校内の内紛をきっかけに辞職を余儀なくされます。
下野した天心は同年、橋本雅邦や横山大観ら26名の同志とともに日本美術院を設立します。院の拠点は当初、東京・上野谷中に置かれましたが、1906年には茨城県北茨城市の五浦(いづら)へと移されました。太平洋を望む断崖に建てた六角形の堂——通称「六角堂」——で天心は思索を深め、大観・菱田春草・下村観山・木村武山らを指導しました。現在も五浦には天心旧宅や六角堂(2011年の東日本大震災で消失後に復元)が残り、茨城県天心記念五浦美術館が隣接しています。
この時期、天心はボストン美術館の東洋美術部長も兼任し、日米を往復しながら執筆活動を続けました。英文三部作と呼ばれる『東洋の理想』(1903年)、『日本の目覚め』(1904年)、『茶の本』(1906年)はいずれも欧米の読者に向けて書かれたもので、とりわけ『茶の本』は茶の湯を軸に日本の美意識と哲学を説いた書として今なお各国語に翻訳されています。西洋近代文明を相対化し、東洋の精神的価値を世界へ発信したその姿勢は、没後100年以上を経た現在でも色褪せません。
1913年9月2日、天心は新潟県の赤倉温泉で療養中に没します。享年50歳でした。翌年、横山大観らが主導して日本美術院を再興し、天心が掲げた「日本美術の革新」という遺志を受け継ぎました。天心忌には五浦や東京で法要が営まれ、日本美術院の関係者や研究者が集って故人を偲びます。岡倉天心という名は、日本が近代化の波に揺れた時代に、美術と思想の両面から東洋の自己認識を問い直した人物として、美術史に深く刻まれています。
9月2日の他の記念日
9月2日のカレンダー情報
9月の二十四節気・雑節
- 白露(はくろ) 9月7日(月)
- 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
- 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
- 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
- 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
- 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)