年越の大祓 (年中行事 12月31日)

年越の大祓
律令による制定
701年(大宝律令)
宮中行事の中断
室町時代の応仁の乱以降約400年
宮中行事の復活
明治天皇の治世
執行日
毎年12月31日
思想的起源
伊邪那岐命の禊祓(古事記・日本書紀)
主催
神社本庁・全国の神社

701年に制定された大宝律令によって、大祓は宮中の公式行事として定められました。しかし平安末期から室町時代にかけての戦乱のなかで宮中行事としての大祓は途絶え、明治天皇の治世にいたってようやく復活を遂げます。実に400年以上の空白を経た再興でした。その間も各地の神社では途切れることなく大祓が営まれ続けており、民衆の信仰のなかで神事は生き続けていました。

年越の大祓は毎年12月31日、神社本庁が所管する全国の神社で一斉に執り行われます。一年のうちに知らず知らずのうちに身に積もった罪や穢れを祓い清め、清浄な状態で新年を迎えることを目的とする神事です。6月30日に行われる夏越の大祓と対をなし、半年ごとに心身を浄化するという思想が根底にあります。

神事の核心は「大祓詞(おおはらえのことば)」の奏上と「人形(ひとがた)」の使用にあります。参列者はあらかじめ神社から授与された紙製の人形に自分の名前と年齢を書き込み、体を撫でて穢れを移します。神職が大祓詞を読み上げながら人形を祓い清め、最終的に川や海に流すか焚き上げる形で罪穢れを自然に還します。この「形代(かたしろ)」の習俗は平安時代から続くもので、目に見えない穢れを可視化し、物体として外に出すという神道的な発想を今に伝えています。

大祓の思想的な淵源をたどれば、古事記・日本書紀に記される伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓にまで行き着きます。黄泉の国から戻った伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小門で身を清めたという神話が、日本人の「祓」観念の原型とされています。宮中では飛鳥時代にすでに祓の儀礼が存在したと考えられており、それが律令制のもとで制度化されて以後、国家祭祀の一角を担い続けてきました。

大晦日の夜、社殿に灯がともり神職が大祓詞を唱える光景は、各地の神社で今も変わらず繰り返されています。初詣で賑わう元旦のわずか数時間前に、静かに執り行われるこの神事が、日本人の年越しに込められた「清める」という意識の背骨を支えています。

12月31日のカレンダー情報

六曜 先負
吉日 神吉日、大明日、天恩日
月齢 22.1(下弦の月)

12月の二十四節気・雑節

  • 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
  • 冬至(とうじ) 12月22日(火)