銀閣寺の日 (記念日 2月4日)

銀閣寺の日
造営開始年
1482年(文明14年)
建設者
室町幕府8代将軍・足利義政
正式名称
東山慈照寺(臨済宗相国寺派)
銀閣の正式名
観音殿(2層の楼閣)
世界遺産登録
1994年「古都京都の文化財」
義政の没年
1490年1月7日(銀閣完成前)

応仁の乱が収束してわずか5年後のことです。戦禍の痕跡がまだ色濃く残る1482年(文明14年)のこの日、室町幕府8代将軍・足利義政が京都東山に「東山山荘」の造営を開始しました。銀閣寺の日は、この出来事を記念して定められています。義政は翌1483年に常御所が完成すると嗣子の義尚に政務を譲り、東山山荘に居を移しました。乱世の政治から身を引いた義政が深く傾倒したのは、書画・茶道・花道・能といった文化芸術の世界です。中国宋・明の工芸品を集めた「東山御物」と呼ばれるコレクションを築き上げ、その審美眼は後世の日本美術に大きな影響を与えました。

東山で育まれた文化は「東山文化」と呼ばれます。禅宗と中国文化の影響を受けた簡素で洗練された美意識が特徴で、書院造・枯山水庭園・侘び茶・水墨画など、現代に続く日本文化の様式の多くがこの時代に形を整えました。応仁の乱という未曾有の動乱を経て、日本の芸術文化は簡素と精神性を軸に大きく変容しました。

東山山荘には順次建物が加えられ、1486年には義政の持仏堂「東求堂」が、1489年3月には2層の楼閣・観音殿が上棟しました。現在「銀閣」と通称されるこの建物ですが、義政はその年の10月に病に倒れ、翌1490年1月7日に没します。みずから建設を命じた銀閣の完成を見届けることは叶いませんでした。義政の遺命により東山山荘は禅寺に改められ、義政の院号「慈照院殿」にちなんで「慈照寺」と命名されました。

慈照寺は現在も臨済宗相国寺派の寺院として京都市左京区に現存し、1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。「銀閣」という呼び名は後世に広まったものであり、実際に銀箔が張られていたわけではないとする見解が一般的です。観音殿と庭園は国の特別史跡・特別名勝にも指定されており、今も多くの参拝者が訪れています。

2月4日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 神吉日、大明日、天恩日
月齢 16.3

2月の二十四節気・雑節

  • 立春(りっしゅん) 2月4日(水)
  • 雨水(うすい) 2月19日(木)
  • 節分(せつぶん) 2月3日(火)