ニコライ祭 (年中行事 2月16日)

ニコライ祭
永眠日
1912年2月16日
来日年
1861年(文久元年)
伝道期間
約51年
列聖称号
亜使徒ニコライ
1880年の信徒数
6,099名
記念集会場
東京復活大聖堂(ニコライ堂)

函館の地で、ニコライは布教より前に8年間を費やしました。儒書、仏典、日本の古典——これらを原文で読み解けるまで日本語を習得することが、伝道の前提だと考えたのです。1861年(文久元年)に領事館附属聖堂の司祭として来日したロシア人修道司祭イワン・カサートキン、のちの大主教ニコライは、まず言葉と文化の土台を固めることから始めました。

その準備が実を結ぶのに、時間はかかりませんでした。ニコライが主教に叙聖された1880年(明治13年)の時点では、信徒総数6,099名、伝道者79名、教会96か所、講義所263か所に達していました。来日から20年足らずで日本各地に正教の根を張ったこの数字は、ニコライが現地の言葉と文化を深く理解した上で伝道に臨んだことの証といえます。この伝道を支えた柱のひとつが、聖書や祈禱書の日本語訳でした。ニコライは聖典を日本語に移し替えることで、信者が自らの言葉で信仰と向き合える環境を整えました。

1891年(明治24年)、東京・神田駿河台に東京復活大聖堂が完成しました。ビザンチン様式の大ドームを持つこの聖堂は、建設当時の東京で際立つ建造物として注目を集め、「ニコライ堂」という愛称で市民に親しまれるようになりました。

ニコライが日本の地で永眠したのは1912年(明治45年)2月16日のことです。来日から51年、生涯の大半を日本での伝道に捧げた大主教は76歳で世を去りました。その功績は正教会の中で高く評価され、のちに「亜使徒」の称号とともに列聖されています。「亜使徒」とは使徒に準じる人物に与えられる称号で、正教会では最高位の聖人の一区分にあたります。

毎年2月16日、ニコライが永眠したこの日に、ニコライ堂では記念集会「ニコライ祭」が営まれます。100年以上の時を経た現在も、神田の丘に立つ大ドームの聖堂は現役の礼拝の場であり続けています。明治期に一人のロシア人聖職者が築いた信仰の場が、今もこの日を静かに刻んでいます。

2月16日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 神吉日、大明日
月齢 28.3

2月の二十四節気・雑節

  • 立春(りっしゅん) 2月4日(水)
  • 雨水(うすい) 2月19日(木)
  • 節分(せつぶん) 2月3日(火)