白桜忌 (記念日 5月29日)

白桜忌
忌日
1942年(昭和17年)5月29日
享年
63歳
出身地
大阪府堺市堺区甲斐町
代表作
歌集『みだれ髪』(1901年)
反戦詩
「君死にたまふことなかれ」(1904年)
法要場所
大阪府堺市・覚応寺

「君死にたまふことなかれ」——日露戦争の最中に出征した弟の身を案じて書かれたこの詩は、発表と同時に賛否両論の嵐を巻き起こしました。反戦の訴えを官能的な情熱と同じ筆から生み出した歌人・与謝野晶子は、1942年(昭和17年)のこの日、杉並区荻窪の自宅でその生涯を閉じました。63歳でした。晩年の晶子が愛したという白いソメイヨシノにちなんで「白桜忌」と呼ばれる忌日で、大阪府堺市の覚応寺では毎年法要が営まれています。晶子は1878年(明治11年)12月7日、現在の堺市堺区甲斐町に生まれました。実家は老舗和菓子屋「駿河屋」を営む家柄で、旧姓は鳳(ほう)、本名は志やう(しょう)。ペンネームの「晶子」の「晶」の字は、本名の「しょう」から引いたものです。堺市立堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)技芸科に学んだ在学中から『源氏物語』をはじめとする古典に親しみ、その素養が後の仕事の根底を支えることになります。

転機は1900年(明治33年)、歌人・与謝野鉄幹が主宰する東京新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表したことです。翌年、晶子は家を飛び出して東京へ移り、女性の官能と生の喜びをおおらかに謳った第一歌集『みだれ髪』(1901年)を刊行します。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」——この一首が象徴するような大胆な表現は、当時の文壇に鮮烈な衝撃を与えました。のちに鉄幹と結婚し、『明星』の中心的存在として活躍します。

情熱的な初期歌風はやがて唯美的・幻想的な色合いへと変化し、鉄幹との共著『毒草』(1904年)、山川登美子らとの共著『恋衣』(1905年)、『舞姫』(1906年)と歌集を重ねました。

同じ1904年に発表された「君死にたまふことなかれ」は、文芸誌『明星』に掲載されるや批判と支持が渦巻き、時の評論家・大町桂月からは非国民的だと攻撃されます。それでも晶子は筆を折りませんでした。古典への深い愛着は現代語訳にも向かい、『新訳源氏物語』の刊行はその代表です。難解な古典を広く読者へ届けようとする姿勢は大正期以降の評論活動にも通じています。女性文芸誌『青鞜(せいとう)』運動を支援し、母性保護論争にも積極的に参加するなど、女性問題・社会問題への発言は晩年まで衰えませんでした。墓は東京都府中市と小金井市にまたがる多磨霊園にあります。没後に編まれた遺歌集の題は『白桜集』(1942年)——白い桜の名は、こうして晶子の最後の言葉となりました。

5月29日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 一粒万倍日、神吉日、母倉日
月齢 12.3

5月の二十四節気・雑節

  • 立夏(りっか) 5月5日(火)
  • 小満(しょうまん) 5月21日(木)
  • 八十八夜(はちじゅうはちや) 5月2日(土)