青峰忌 (記念日 5月31日)
- 忌日
- 1944年(昭和19年)5月31日
- 享年
- 62歳
- 生誕地
- 三重県志摩市磯部町的矢
- 俳号の由来
- 故郷の山・青峰山(標高336m)
- 主宰誌
- 『土上(どじょう)』(1922年創刊)
- 検挙事件
- 新興俳句弾圧事件(1941年)
「新興俳句弾圧事件」で検挙され、留置場で肺結核を再発させながらも、釈放後3年間病と闘い続けた俳人・嶋田青峰(しまだ せいほう)。1944年(昭和19年)5月31日、62歳で生涯を閉じた日が「青峰忌」です。
1882年(明治15年)、現在の三重県志摩市磯部町的矢に生まれた青峰の本名は賢平。俳号の由来は故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)です。早稲田大学英文科を卒業後、1908年(明治41年)に国民新聞社へ入社。「国民文学」編集部員として高浜虚子の部下となり、俳句雑誌『ホトトギス』の編集にも携わりました。池内たけし・篠原温亭・鈴木花蓑らと肩を並べ、雑誌の中核を担っていきます。
1922年(大正11年)には篠原温亭と俳句雑誌『土上(どじょう)』を創刊。温亭の没後にはこれを主宰し、独自の俳壇を形成していきました。国民新聞社では部長職に就くまでになりましたが、青峰の歩みはそこで止まりません。1934年(昭和9年)頃から新興俳句運動に加わり、従来の花鳥風詠にとどまらない革新的な作風へと転じていきます。
しかし1941年(昭和16年)、新興俳句弾圧事件によって検挙されます。当局が「治安維持法違反」を疑い、前衛的な俳句表現を危険視した時代の出来事でした。留置場での生活が肺結核の再発を招き、釈放後も病状は回復せず、3年後に死去しています。
青峰の句には「わが影や 冬の夜道を 面伏せて」のように、孤独と内省が滲む作品が並んでいます。「たゞ蛙の 為すまゝに蝶の 衰へる」は生の儚さを静かに映し、「朝寒の この道を行く つとめ哉」には日常への真摯な眼差しが感じられます。著作に『青峰集』(1925年)、評伝的な『子規・紅葉・緑雨』(1935年)、『俳句の作り方』(1936年)があり、俳句の普及にも力を注ぎました。新興俳句の弾圧という不条理に翻弄されながらも、作句と著述を続けたその軌跡は、昭和前期の俳壇史に深く刻まれています。
参考リンク
5月31日のカレンダー情報
5月の二十四節気・雑節
- 立夏(りっか) 5月5日(火)
- 小満(しょうまん) 5月21日(木)
- 八十八夜(はちじゅうはちや) 5月2日(土)