バッジの日 (記念日 6月1日)
- 制定年
- 1993年(平成5年)
- 制定者
- 徽章工学協会
- 由来
- 「気象記念日」と「徽章(きしょう)」の同音にちなむ
- 日本初の民間徽章会社
- 日本帝国徽章商会(明治18年・1885年創設)
- 徽章という言葉の文献初出
- 明治8年(1875年)、軍隊の服装規定「徽章法」
日本の徽章という言葉が文献に初めて登場するのは、明治8年(1875年)のことです。軍隊の服装規定に定められた「徽章法」がその起点とされており、もともとは騎馬武者が戦場で用いた「旗印」を意味していました。明治維新後、西洋文化の流入とともに武具の紋章や家紋がボタンへ、さらに勲章やメダル、バッジへと形を変えていきました。
民間の徽章産業が本格的に始まったのは明治18年(1885年)で、日本帝国徽章商会が初の民間徽章会社として創設され、明治末から大正初期にかけて国内唯一の製作工場として隆盛を誇りました。職人の系譜をたどると、錺師(かざりし)と呼ばれる金属細工師が徽章業の祖先にあたるとされています。バッジとは、衣服の衿や胸に付ける徽章・記章のことで、所属・資格・職位・階級・経歴・功績などをデザイン化して表すものです。留め具に針を使うタイプは「ピン(pin)」とも呼ばれ、日本語では「ピンバッジ」として広く定着しています。国際的にピンバッジが注目を集めたのは1980年の冬季五輪レイクプラシッド大会で、日本では1998年の長野冬季五輪を機に国内での認知が大きく広がりました。
バッジの日は1993年(平成5年)に徽章工学協会が制定しました。6月1日が「気象記念日」であることから、「気象(きしょう)」と「徽章(きしょう)」の同音に着目して定めた記念日です。気象記念日自体は1875年(明治8年)6月1日に東京気象台(現・気象庁)が業務を開始したことにちなんでおり、奇しくも徽章という言葉が文献に現れた年と同じです。
戦後の徽章業界は一時多くのものを失いましたが、旺盛な需要と購買力を支えに復興を果たしました。スポーツの大衆化や東京オリンピック(1964年)の開催が需要を大きく押し上げ、バッジ・ブローチ・銀器を主力に業界は拡大していきました。現代ではオリジナルのピンバッジを小ロットで製作できる環境が整い、企業・団体・イベントを問わず幅広い場面でバッジが活用されています。
6月1日の他の記念日
6月1日のカレンダー情報
6月の二十四節気・雑節
- 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
- 夏至(げし) 6月21日(日)
- 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)