紅緑忌 (記念日 6月3日)
- 生年月日
- 1874年(明治7年)7月6日
- 没年月日
- 1949年(昭和24年)6月3日
- 出身地
- 青森県弘前市親方町
- 代表作
- 『あゝ玉杯に花うけて』(1927〜28年)
- 家族
- サトウハチロー(子)、佐藤愛子(子)
- 影響を受けた人物
- 正岡子規
作詞家サトウハチローの父であり、小説家・佐藤愛子の父でもある人物が、明治・大正・昭和という激動の三時代を生き抜き、文学の世界でその名を刻みました。佐藤紅緑(さとう こうろく)は1949年(昭和24年)6月3日に東京都世田谷区上馬の自宅で老衰により死去しました。74歳でした。この日は彼の忌日として「紅緑忌」と呼ばれています。
1874年(明治7年)7月6日、現在の青森県弘前市親方町に生まれた佐藤紅緑の本名は洽六(こうろく)です。青森県尋常中学(現:弘前高校)を中退後、1893年(明治26年)に上京し、新聞人・陸羯南(くが かつなん)の書生を経て新聞記者となります。この時期に出会ったのが正岡子規でした。子規の勧めで俳句を始め、文学の道へと深く踏み込んでいきます。
小説家としての紅緑が世に認められたのは、1906年(明治39年)に発表した『行火(あんか)』によってです。自然主義文学の作家として評価を確立しました。その後は『虎公(とらこう)』(1915年)や『富士に題す』(1930年)など、家庭小説の系統を引く社会小説的な色彩の大衆小説へと作風を広げ、正義感を貫いて複雑な社会を乗り切るという行動的な主題は、作品群を通じて一貫していました。社会小説の先駆者とも称される所以です。
雑誌『少年倶楽部』への連載『あゝ玉杯に花うけて』(1927〜28年)と『英雄行進曲』(1935年)は読者を熱狂させ、同誌の黄金期を築きました。
その他の代表作には『乳房』(1920年)、『少年讃歌』(1930年)、『一直線』(1931年)などがあり、晩年には句集『花紅柳緑』(1943年)を残しました。俳句から出発し、自然主義文学、大衆小説、少年文学と複数のジャンルを横断した紅緑の仕事は、日本近代文学における多面的な存在として今も記憶されています。
参考リンク
6月3日の他の記念日
6月3日のカレンダー情報
6月の二十四節気・雑節
- 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
- 夏至(げし) 6月21日(日)
- 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)