母親大会記念日 (記念日 6月7日)

母親大会記念日
第1回開催日
1955年(昭和30年)6月6日
開催場所
東京・豊島公会堂
参加人数
約2000人
開催のきっかけ
1954年ビキニ環礁での米国水爆実験
スローガン
「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」
主催団体
日本婦人団体連合会(婦団連)

1954年(昭和29年)3月、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験は、日本中に衝撃を与えました。静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸が死の灰を浴びたことは広く知られていますが、この出来事は核兵器への恐怖と怒りを日本の女性たちの間にも広く呼び起こしました。

日本婦人団体連合会(婦団連)はこの実験を受け、国際民主婦人連盟に対して原水爆禁止を提案しました。その結果、1955年にスイスで世界母親大会が開催されることが決定します。これに先立つ形で、同年6月6日、東京・豊島公会堂において2000人の母親たちが参加する第1回日本母親大会が開かれました。

この大会で注目されるのは、核や平和の問題だけでなく、日常の言葉遣いや慣習にまで踏み込んだ申し合わせが行われた点です。「嫁をもらう、娘を片付けるなどの言い方をやめ、結婚と言おう」「主人と呼ばず夫と呼ぼう」「女だてらに、という言い方はやめよう」――これらの言葉は、1950年代の日本社会における女性の地位と、それを変えようとする意識の芽生えを鮮明に示しています。戦後10年を経てもなお、女性を「嫁」や「娘」として所有物のように語る言語習慣が当たり前のように残っていた時代の記録です。

大会はその後も毎年継続して開催されました。「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」というスローガンのもと、生命と暮らし、子どもと教育、平和、女性の地位向上をテーマとする分科会や講演会が続けられています。特定の日付に固定されているわけではありませんが、第1回大会が開かれた6月6日が母親大会記念日として記念されています。

第1回大会に集まった2000人という参加者数は、当時の社会情勢を考えると決して小さな数字ではありません。核兵器への反対運動と、家庭の中での女性の役割・呼称という身近な問題を同時に議題に上げたことに、この大会の独自性があります。平和運動と女性解放の両面から社会に働きかけようとした母親たちの姿勢は、戦後日本の市民運動の一形態として記録されています。

6月7日のカレンダー情報

六曜 先勝
吉日 神吉日、天恩日
月齢 21.3

6月の二十四節気・雑節

  • 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
  • 夏至(げし) 6月21日(日)
  • 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)