バザー記念日 (記念日 6月12日)

バザー記念日
開催日
1884年(明治17年)6月12日〜14日
来場者数
3日間で約1万2千人
売上総額
約8千円(当時)
寄付先
共立東京病院
鹿鳴館設計者
ジョサイア・コンドル
鹿鳴館総工費
18万円

1884年(明治17年)6月12日、東京・日比谷の鹿鳴館で「第1回婦人慈善市」が開催されました。これが日本初のバザーとされており、この日にちなんで6月12日は「バザー記念日」となっています。

鹿鳴館は、明治政府が欧米諸国との不平等条約改正を目指す外交政策の一環として建設した西洋風社交施設です。外務卿・井上馨の主導のもと、お雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルが設計を担当し、1883年(明治16年)に完成しました。ネオ・バロック様式を基調とした煉瓦造り2階建ての建物で、総工費は18万円。舞踏室、食堂、奏楽室などを備え、外国からの賓客や外交官を接待するための舞踏会・夜会が頻繁に開かれました。西洋文明を体現する場として、当時の日本において象徴的な存在でした。

その鹿鳴館で開かれた第1回婦人慈善市は、皇族をはじめとする上流階級の女性たちが手工芸品や日用品を持ち寄り、販売するという形式で行われました。当時の新聞『郵便報知』は「開場3日とも非常の盛況にて、来観人は3日間におよそ1万2千人、出品売高およそ8千円」と伝えています。3日間で1万2千人が来場したという数字は、当時の東京の人口規模を考えると驚異的な集客です。売上金は共立東京病院(現・東京女子医科大学病院の前身)への寄付に充てられました。

日本語で「慈善市」と呼ばれたこの催しは、英語の「bazaar」に由来します。もともとはペルシャ語で「市場」を意味する言葉で、ヨーロッパでは慈善目的の即売会を指すものとして広く定着していました。鹿鳴館の婦人慈善市は、その文化をそのまま日本に持ち込んだものでした。慈善活動と社交を結びつけるという欧米的な慣習が、明治の上流社会に根付いていった過程を示す出来事です。

鹿鳴館は1887年(明治20年)に条約改正交渉が失敗し、井上馨が辞職したことで役割を終え、1890年(明治23年)以降は華族会館として使用されました。建物自体は1940年(昭和15年)に取り壊され、現在はその跡地に石碑が残るのみです。しかし、この地で生まれた「バザー」という文化はその後も日本社会に受け継がれ、学校や地域の慈善活動における定番の催しとして今日まで続いています。

6月12日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 一粒万倍日、巳の日
月齢 26.3

6月の二十四節気・雑節

  • 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
  • 夏至(げし) 6月21日(日)
  • 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)