日韓条約調印記念日 (記念日 6月22日)
- 調印日
- 1965年(昭和40年)6月22日
- 正式名称
- 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
- 交渉期間
- 約14年(1952年開始)
- 経済協力額
- 無償3億ドル+有償2億ドル(計5億ドル)
- 国交正常化日
- 1965年12月18日(条約発効)
- 当時の韓国国家予算
- 年間約3億5千万ドル
1951年から数えて約14年。その長い交渉の末に実現したのが、1965年6月22日の「日韓基本条約」調印です。正式名称は「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」で、佐藤栄作内閣と韓国・朴正煕政権が東京で署名しました。この日は「日韓条約調印記念日」として記録されています。交渉の歴史は複雑です。1952年に正式交渉が始まりましたが、植民地支配をめぐる認識の相違や、戦後賠償の枠組みに関する対立から、交渉は何度も決裂と再開を繰り返しました。韓国では李承晩ライン(漁業水域問題)をめぐる緊張もあり、交渉は単純な外交折衝にとどまらないものとなっていました。
条約の本文は前文と7条で構成されています。主な内容は、外交・領事関係の再開、1910年以前に結ばれた韓国併合条約などの「もはや無効」の確認、大韓民国政府を朝鮮における唯一の合法政府と認定すること、などです。「もはや無効」という表現は両国の解釈が異なる余地を残しており、この条文をめぐる議論は後年まで続くことになります。
同日には「日韓請求権・経済協力協定」も調印されました。日本は韓国に対し、無償3億ドル・有償2億ドル、合計5億ドルの経済協力を10年間にわたって行うことを約束しました。当時の韓国の国家予算が年間約3億5千万ドルであったことを踏まえると、その規模の大きさがわかります。この協定では、両国および国民の間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と明記されています。
条約は日韓双方で激しい反対運動に直面しました。日本では植民地支配への反省が不十分だという批判が、韓国では屈辱的な妥協だとして「屈辱外交」と呼ばれた学生デモが起きました。それでも両国の国会で批准され、同年12月18日に条約が正式発効。14年越しの国交回復が実現しました。
その後の日韓関係において、この条約が定めた請求権協定の解釈は繰り返し議論の焦点となっています。元徴用工訴訟や慰安婦問題など、歴史認識をめぐる外交課題が生じるたびに、1965年の合意内容がどこまでの問題を解決したのかという点が問われ続けています。6月22日は、そうした問いの原点となる日です。
6月22日の他の記念日
6月22日のカレンダー情報
6月の二十四節気・雑節
- 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
- 夏至(げし) 6月21日(日)
- 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)