天覧試合の日 (記念日 6月25日)
- 試合日
- 1959年(昭和34年)6月25日
- 球場
- 後楽園球場
- 対戦カード
- 読売ジャイアンツ vs 大阪タイガース
- 試合結果
- 巨人5-4阪神(9回裏サヨナラ)
- 本塁打
- 長嶋茂雄(村山実から左翼ポール際)
- 交渉の仕掛け人
- 正力松太郎(読売新聞社主・巨人オーナー)
9回裏、21時12分。ポール際ぎりぎりに飛び込んだ白球を、塁審は「フェア」と判定した。巨人・長嶋茂雄のサヨナラホームランで後楽園球場が揺れたこの瞬間、昭和天皇・皇后両陛下が退席する予定時刻まで、残りわずか3分でした。
1959年(昭和34年)6月25日のプロ野球初の天覧試合は、一本のホームランを軸に、さまざまな人物の思惑と偶然が折り重なって生まれました。仕掛け人は読売新聞社主で巨人軍オーナーの正力松太郎です。ある夜、昭和天皇が後楽園球場のナイター照明について尋ねたという話を伝え聞いた正力は、「天覧試合でプロ野球の格を上げる」と即断し、宮内庁との交渉を命じました。しかし宮内庁は「球界全体の総意なくしては動けない」と回答。ようやく6月19日に正式な承認が下り、わずか6日後の試合が歴史的な一戦となりました。
試合は巨人対阪神の伝統の一戦。昭和天皇・香淳皇后はバックネット裏の貴賓席に着席し、試合は4対4の接戦のまま終盤へ。9回裏、長嶋は阪神のエース・村山実が投じた球をレフトポール際に運びました。判定はホームラン。巨人のサヨナラ勝ちです。両陛下はちょうどその余韻の中で球場を後にされました。
ところが、阪神・村山実はこの判定を最後まで認めませんでした。「あれは絶対ファウルやった」という言葉は、1998年(平成10年)に亡くなるまで繰り返されています。レフトポールぎりぎりの打球は映像でも判然とせず、村山の主張には一定の説得力がありました。天覧試合という晴れ舞台が、投手にとって生涯の悔恨に変わった瞬間でもありました。
長嶋茂雄はこの一打によって「国民的スター」としての地位を確立します。前年にデビューし、すでに人気を集めていた長嶋が、天皇陛下の御前でサヨナラアーチを放つという場面は、テレビ普及期の日本社会に強烈な印象を残しました。プロ野球が「国民的娯楽」へと飛躍するうえで、この一試合が果たした役割は小さくありません。
参考リンク
6月25日のカレンダー情報
6月の二十四節気・雑節
- 芒種(ぼうしゅ) 6月6日(土)
- 夏至(げし) 6月21日(日)
- 入梅(にゅうばい) 6月11日(木)