裕計忌 (記念日 7月8日)
- 生年月日
- 1912年(大正元年)8月18日
- 出身地
- 福井県福井市
- 師事した作家
- 横光利一(新感覚派)
- 芥川賞受賞作
- 『長江デルタ』(第13回・1941年)
- 主宰した俳句誌
- 『れもん』(1962年創刊)
- 忌日
- 1980年(昭和55年)7月8日、67歳
1941年(昭和16年)、多田裕計(ただ ゆうけい)は上海滞在中に書いた『長江デルタ』で第13回芥川賞を受賞しました。当時の日本文壇において、大陸を舞台にした作品が芥川賞を射止めた背景には、戦時下の時代状況と、現地に身を置いた作家ならではの視点がありました。7月8日は、その多田裕計が1980年(昭和55年)に67歳で亡くなった忌日であり、「裕計忌」と呼ばれています。
多田裕計は1912年(大正元年)8月18日、福井県福井市に生まれました。早稲田大学文学部仏文科を卒業後、新感覚派の旗手として知られる小説家・横光利一(よこみつ りいち)に師事します。また、石塚友二(いしづか ともじ)らと交流を深め、同人雑誌『黙示(もくし)』の創刊にも加わりました。文学活動の拠点を築きつつあった多田は、1940年(昭和15年)に上海へ渡り、上海中華映画に勤務します。上海での経験を素材とした『長江デルタ』を雑誌『大陸往来』に発表したのは翌1941年のことです。作品は長江流域の風土と人々の暮らしを描いており、現地に赴いた作家の目が随所に感じられます。この受賞により多田の名は広く知られるようになりました。戦後は小説『蛇師』で大毎文芸懇話会賞の佳作に選ばれ、創作活動を続けます。
小説と並行して、多田は俳句の世界にも深く踏み込みました。俳人・石田波郷(いしだ はきょう)が主宰する俳句雑誌『鶴』の同人となり、句作に取り組みます。さらに1962年(昭和37年)には俳句雑誌『れもん』を自ら創刊・主宰し、句誌の運営者としても活動しました。小説家と俳人の両面を持つ作家として、戦後日本の文学シーンに独自の位置を占めた人物です。
著書には小説『アジアの砂』(1956年)、芭蕉を題材にした小説『芭蕉』(1964年)があります。句集としては『浪漫抄(ロマンしょう)』(1974年)、没年に刊行された『多田裕計句集』(1980年)が残されています。上海から芭蕉、そして現代俳句へと広がる多田の仕事は、大陸体験と日本の伝統詩が交差する独特の軌跡を描いています。
参考リンク
7月8日の他の記念日
7月8日のカレンダー情報
7月の二十四節気・雑節
- 小暑(しょうしょ) 7月7日(火)
- 大暑(たいしょ) 7月23日(木)
- 夏の土用(どよう) 7月20日(月)
- 半夏生(はんげしょう) 7月2日(木)