洋食器の日 (記念日 7月12日)
- 制定者
- 日本金属洋食器工業組合
- 日付の由来
- 7月12日=ナイフの語呂合わせ
- 国内シェア
- 金属洋食器の約90%が燕市産
- 産地の歴史
- 江戸時代の和釘づくりが原点
- 洋食器生産開始
- 1914年(大正3年)頃
日本で使われるナイフ、フォーク、スプーンの約90%が、新潟県燕市で生まれています。人口わずか8万人ほどのこの街が、なぜ世界有数の金属洋食器の産地になったのか。その歴史は、江戸時代の和釘づくりにまで遡ります。7月12日は「洋食器の日」。日本金属洋食器工業組合が「な(7)い(1)ふ(2)」(ナイフ)の語呂合わせから制定した記念日で、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。
燕市の金属加工は、江戸時代初期に農閑期の副業として始まった和釘づくりが原点です。信濃川の氾濫に悩まされた農民たちが、生活を支えるために手にしたのが金槌と鉄でした。やがて和釘の技術はやすり、煙管(きせる)、銅器へと広がり、明治時代には多彩な金属製品を手がける職人の街へと成長していきます。
洋食器との出会いは1911年(明治44年)。東京・銀座の輸入商が石油王の邸宅用カトラリーを受注し、その製造を銅器の産地・燕に依頼したのが始まりとされています。そして運命の転機は1914年(大正3年)に訪れました。第一次世界大戦の勃発により、ヨーロッパの工場が軍需生産に転じ、生活用品の供給が世界的に滞ります。その不足分を補う注文が日本に殺到し、燕にはスプーンやフォークの大量発注が舞い込みました。和釘から銅器へ、銅器から洋食器へ。技術の蓄積があったからこそ、この急激な転換に対応できたのです。
戦後、ステンレス鋼の普及とともに燕の洋食器産業はさらに飛躍します。研磨や鍛造の技術が磨き上げられ、国内シェアは90%以上に。海外への輸出も盛んで、燕のカトラリーは世界中のレストランや家庭の食卓に届けられています。近年では「燕三条」の名でブランド化が進み、高品質な金属製品の代名詞として国内外から注目を集めています。
水害に苦しむ農村から始まった金属加工の歴史が、400年の時を経て世界に誇る産業へと結実しました。毎日の食卓でナイフやフォークを手に取るとき、その一本に職人たちの技術と歴史が宿っていることを、少しだけ思い出してみてください。
7月12日の他の記念日
7月12日のカレンダー情報
7月の二十四節気・雑節
- 小暑(しょうしょ) 7月7日(火)
- 大暑(たいしょ) 7月23日(木)
- 夏の土用(どよう) 7月20日(月)
- 半夏生(はんげしょう) 7月2日(木)