ペリー上陸記念日 (記念日 7月14日)
- 来航日
- 1853年7月8日(旧暦嘉永6年6月9日)
- 来航地点
- 江戸湾・浦賀(現:神奈川県横須賀市)
- 艦隊規模
- 蒸気船を含む4隻、大砲60門以上
- 締結条約
- 日米和親条約(1854年3月)
- 開港2港
- 下田・函館
- 現存する地名
- お台場(品川台場に由来)
「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」――1853年7月8日(旧暦嘉永6年6月9日)、マシュー・ペリー提督率いる黒船艦隊4隻が江戸湾・浦賀沖に姿を現したとき、江戸の人々が詠んだ狂歌です。上喜撰とは高級宇治茶の銘柄で、蒸気船(じょうきせん)と掛けています。眠れないのはカフェインのせいか、黒船の衝撃のせいか。当時の人々のうろたえぶりが、この一句に凝縮されています。
ペリーはアメリカ東インド艦隊の司令長官として、日本に開国を迫る使命を帯びていました。艦隊が装備していた大砲の数は合計で60門以上。当時の日本にとってこれほど強大な軍事力を持つ外国船は前例がなく、浦賀奉行所は対応に苦慮しました。ペリーはアメリカ大統領フィルモアの国書を携えており、「1年後に返答を聞きに来る」と告げて去りました。幕府はこの1年間を全力で使い、品川沖に6基の砲台(台場)を建設しました。現在もお台場という地名にその痕跡が残っています。また、開国か攘夷かをめぐる議論が諸大名や朝廷にまで拡大し、幕府の権威が揺らぐ大きな契機ともなりました。
翌1854年2月、約7隻に増えた艦隊を率いてペリーが再来航します。交渉の末、同年3月に「日米和親条約」が横浜で締結されました。下田と函館の2港を開港し、漂流民の保護や薪水・食料の補給を認める内容でした。200年以上続いた江戸幕府の鎖国政策は、ここに終わりを告げます。
ペリーが上陸した神奈川県横須賀市の久里浜には、現在「ペリー公園」が整備されており、上陸を記念する碑と記念館が設置されています。毎年7月には「ペリー祭」が開催され、地域の歴史を伝えるイベントとして続いています。一隻の蒸気船が引き起こした波紋が、現代の港町の祭りへと形を変えて受け継がれているのです。
7月14日の他の記念日
7月14日のカレンダー情報
7月の二十四節気・雑節
- 小暑(しょうしょ) 7月7日(火)
- 大暑(たいしょ) 7月23日(木)
- 夏の土用(どよう) 7月20日(月)
- 半夏生(はんげしょう) 7月2日(木)