秋桜子忌 (記念日 7月17日)
- 生没年
- 1892〜1981年(享年88歳)
- 本名
- 水原豊
- 職業
- 産婦人科医・俳人
- 主宰誌
- 馬酔木(あしび)
- 受賞歴
- 日本芸術院賞(1964年)、勲三等瑞宝章(1967年)
- 別号による忌日名
- 喜雨亭忌・群青忌
医師でありながら、近代俳句の流れを大きく変えた人物がいます。水原秋桜子(本名・水原豊、1892〜1981年)は東京帝国大学医学部を卒業した産婦人科医でしたが、俳句の世界においても昭和を代表する存在として名を刻みました。
秋桜子は大正末期から高浜虚子主宰の「ホトトギス」に参加し、頭角を現しました。虚子が唱えた「客観写生」——自然をあるがままに写し取る姿勢——に対し、秋桜子は作者の内面を投影する「主観写生」を主張。この芸術的な立場の違いが決定的な対立を生み、やがて秋桜子は「ホトトギス」を離れ、「馬酔木(あしび)」へと活動の場を移します。後に「馬酔木」の主宰となった秋桜子は、写生を超えた叙情性豊かな俳句を世に送り出し続けました。
「ホトトギスの四S」という言葉があります。松本たかし・高野素十・山口誓子、そして秋桜子の四人を指す呼び名で、いずれも虚子門下から出た昭和俳句の担い手たちです。秋桜子はその一人として数えられながら、その後独自の道を切り拓いた点で異彩を放ちます。
句集は「葛飾」(1930年)を皮切りに、「霜林」(1950年)「残鐘」(1952年)「帰心」(1954年)「余生」(1977年)など多数あります。晩年まで創作への意欲は衰えず、88歳で没するまで俳壇の第一線に関わり続けました。1962年には俳人協会会長に就任し、1964年に日本芸術院賞、1966年に日本芸術院会員、1967年には勲三等瑞宝章を受章しています。
忌日には別号にちなんだ「喜雨亭忌」「群青忌」の呼び名もあります。墓所は豊島区の都営染井霊園にあります。医と文学という二つの世界を生き抜いた秋桜子の俳句は、現在も「馬酔木」を通じて受け継がれています。
参考リンク
7月17日の他の記念日
7月17日のカレンダー情報
7月の二十四節気・雑節
- 小暑(しょうしょ) 7月7日(火)
- 大暑(たいしょ) 7月23日(木)
- 夏の土用(どよう) 7月20日(月)
- 半夏生(はんげしょう) 7月2日(木)