日本住宅公団発足記念日 (記念日 7月25日)
- 発足日
- 1955年(昭和30年)7月25日
- 現在の名称
- 都市再生機構(UR都市機構)
- 発足時の住宅不足数
- 約271万戸
- 最高抽選倍率
- 平均50倍超(年によって異なる)
- DK表示の初採用
- 公団住宅が日本初
- 改組年
- 2004年(都市再生機構へ)
「平均50倍を超える抽選倍率」——戦後日本で最も入居が難しい住まいのひとつが、公団住宅でした。1955年(昭和30年)7月25日、日本住宅公団法のもとで日本住宅公団が発足。現在の都市再生機構(UR都市機構)の前身です。終戦直後には420万戸が不足していた住宅は、発足時点でもなお271万戸の不足が続いており、公団は「住宅難」という国家的な課題に正面から向き合う存在として産声を上げました。それでも申し込みは殺到し、家賃は中流サラリーマンの月収の4割前後、大卒初任給を超える住戸も珍しくない水準でした。年によって平均50倍超を記録した抽選を勝ち抜き、当選通知を手にした家族が近所中から羨ましがられる光景は、高度経済成長期の日本でごく普通に見られました。1955年度の全国住宅着工戸数は約28万戸にとどまり、公約の42万戸を達成したのは発足から5年後の1960年度のことです。
公団住宅が当時の人々を驚かせた最大の理由は、その「新しさ」にありました。間取りの表示に初めて「DK(ダイニングキッチン)」を採用し、「2DK」「3DK」という概念そのものを日本に定着させたのが公団です。「ステンレス輝くキッチンセット」というキャッチコピーとともに登場したモダンなシステムキッチンは、まだ土間や板の間が当たり前だった当時の住まい観を根底から覆しました。食事をとる場と台所を一体化させた「食寝分離」の設計思想は、その後の日本の住宅標準に深く刻み込まれていきます。
公団住宅はその後、全国各地に大規模団地として広がり、千里ニュータウン(大阪)や多摩ニュータウン(東京)など、高度成長を支えた働き手たちの生活基盤となりました。
2004年の都市再生機構への改組を経て現在のUR賃借住宅へと引き継がれた今も、あの「ステンレスのキッチン」が象徴したモダンな暮らしへの夢が、戦後日本の住宅史を動かした原動力であったことに変わりはありません。
7月25日の他の記念日
7月25日のカレンダー情報
7月の二十四節気・雑節
- 小暑(しょうしょ) 7月7日(火)
- 大暑(たいしょ) 7月23日(木)
- 夏の土用(どよう) 7月20日(月)
- 半夏生(はんげしょう) 7月2日(木)