金銀の日 (記念日 8月2日)
- 制定者
- 有限会社環境デザイン研究所 塩田芳郎氏
- 由来の大会
- 1928年アムステルダムオリンピック
- 金メダル
- 織田幹雄(陸上三段跳び・15m21)
- 銀メダル
- 人見絹枝(陸上女子800m・2分17秒6)
- 歴史的意義
- 日本人初の五輪金メダル獲得日
1928年8月2日、オランダのアムステルダムで開催された第9回オリンピック大会。この日、日本のスポーツ史に刻まれる二つの快挙が、同じ競技場で同時に生まれました。陸上三段跳びで織田幹雄選手が15メートル21の記録で日本人初の金メダルを、そして陸上女子800メートルで人見絹枝選手が日本人女性初の銀メダルを獲得したのです。
織田幹雄選手は広島県出身の跳躍選手で、当時23歳でした。予選で記録した15メートル21がそのまま全選手中の最高記録となり、金メダルが確定しました。日本がオリンピックに初参加したのは1912年のストックホルム大会ですが、それから16年の歳月を経て、ついに日本選手が世界の頂点に立ったのです。この快挙に日本中が沸き、号外が配られたと伝えられています。
一方の人見絹枝選手は岡山県出身で、当時も日本を代表する女性アスリートとして知られていました。アムステルダム大会は、オリンピック史上初めて女子陸上競技が正式種目に採用された大会です。人見選手は本来100メートルを得意としていましたが、予選で敗退。残された種目は未経験の800メートルのみでした。それでも出場を決意し、決勝ではドイツのリナ・ラトケ選手に次ぐ2位でゴールし、2分17秒6の記録で銀メダルを手にしました。経験のない種目で表彰台に上がるという離れ業は、彼女の類まれな身体能力と不屈の精神力を物語っています。
しかし人見選手のその後は短いものでした。帰国後も精力的に競技を続けましたが、1931年に肺結核のため24歳の若さで亡くなります。日本女性アスリートの先駆者として道を切り開いた功績は、没後も長く語り継がれています。
この歴史的な一日を記念して制定されたのが「金銀の日」です。商業デザインなどを手がける有限会社環境デザイン研究所の塩田芳郎氏が制定し、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。金メダルと銀メダルが同じ日に日本にもたらされたという偶然は、日本のオリンピック史における象徴的な出来事として、今なお記憶に刻まれています。
8月2日の他の記念日
8月2日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)