しづの女忌 (記念日 8月3日)
- 生誕
- 1887年(明治20年)3月19日
- 没年
- 1951年(昭和26年)8月3日、64歳
- 出身地
- 福岡県京都郡稗田村(現・行橋市)
- 師事
- 吉岡禅寺洞・高浜虚子
- 代表句集
- 『颯(はやて)』(1940年)
- 活動誌
- 『ホトトギス』同人(1928年〜)
「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」——育児の疲弊と自我の葛藤を一句に凝縮したこの作品で、竹下しづの女は大正9年(1920年)に『ホトトギス』の巻頭を飾りました。杉田久女・長谷川かな女とともに「大正期の女流黄金時代」と称される時代を切り拓いた俳人の一人です。しづの女忌は、1951年(昭和26年)8月3日に64歳で逝去したことにちなみます。
しづの女は1887年(明治20年)3月19日、福岡県京都郡稗田村(現・行橋市)に生まれました。本名は静廼(シズノ)。福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業後、教員を経て結婚し、後に福岡市立図書館の司書となります。育児の傍ら句作を本格化させ、俳人・吉岡禅寺洞と高浜虚子に師事。虚子が主宰する『ホトトギス』への投句を重ね、1928年(昭和3年)には同誌の同人に名を連ねました。
しづの女の俳句を特徴づけるのは、感情に流されない理知的な構成と、女性の内面・自我を正面から捉える視点です。冒頭の「須可捨焉乎」の句は漢語を大胆に引き込んだ知的な表現で知られ、夜通し泣く子どもへの疲弊と、それでも捨てられないという母の葛藤が、過剰な情感を排して刻まれています。「日を追わぬ大向日葵となりにけり」など、自立・主体性を静かに宣言するような作品も多く残されています。こうした作風を持つ一方、しづの女は後進の育成にも力を注ぎました。1937年(昭和12年)には学生俳句連盟の結成に携わり、機関誌『成層圏』を創刊。中村草田男とともに指導にあたったこの活動から、香西照雄・金子兜太ら後の俳壇を担う俳人が育ちました。戦後も九大俳句会の指導を続け、教育者としての側面でも俳句界に貢献。句集『颯(はやて)』(1940年)を生前に上梓し、没後に『竹下しづの女句文集』(1964年)が刊行されています。
8月3日の他の記念日
8月3日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)