草田男忌 (記念日 8月5日)
- 生誕地
- 清国福建省廈門(アモイ)
- 没年齢
- 82歳(1983年8月5日没)
- 師匠
- 高浜虚子
- 主宰誌
- 『万緑』(1946年創刊)
- 代表句
- 「降る雪や明治は遠くなりにけり」
- 受賞歴
- 紫綬褒章・芸術選奨文部大臣賞・日本芸術院恩賜賞
「降る雪や明治は遠くなりにけり」——この一句で昭和の俳壇に衝撃を与えた俳人、中村草田男(1901〜1983年)の忌日が8月5日です。1933年(昭和8年)の作で、東京帝国大学卒業を前後する時期に詠まれたこの句は、明治という時代そのものへの郷愁と喪失感を17音に凝縮させ、戦前の俳句界に新しい地平を開きました。
草田男は1901年(明治34年)7月24日、清国(現:中国)福建省廈門(アモイ)で生まれました。父は清国領事。本名は清一郎(せいいちろう)。3歳のとき母とともに本籍地の愛媛県伊予郡松前町へ帰国し、以後日本で育ちます。神経衰弱による休学を経て東京帝国大学文学部国文科を卒業し、卒業論文のテーマには俳人・正岡子規を選びました。在学中の1929年(昭和4年)には高浜虚子に師事し、東大俳句会で水原秋桜子らの指導も受けます。
卒業後は成蹊学園に教師として奉職し、1934年(昭和9年)には虚子主宰の俳句雑誌『ホトトギス』の同人となります。一方、この頃から新興俳句運動に対して批判的な立場を明確にし、石田波郷・加藤楸邨らとともに「人間探求派」と称されるようになります。花鳥風月を写生するだけでなく、自然の観察を通じて人間の内面や実存を掘り下げようとする姿勢が、この呼称に凝縮されています。
戦後の1946年(昭和21年)、俳句雑誌『万緑(ばんりょく)』を創刊・主宰。誌名の由来となった句「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」も草田男の代表作です。戦中に生まれた子の最初の歯を、夏の緑一色の景の中に見出す——生命の誕生を万緑と対比させたこの句は、戦後の俳壇を牽引した『万緑』という場の象徴ともなりました。
1949年(昭和24年)には成蹊大学政経学部教授に就任し、国文学を担当。1967年(昭和42年)に定年退職後、1969年(昭和44年)に名誉教授となります。1972年(昭和47年)に紫綬褒章、1974年(昭和49年)に勲三等瑞宝章を受章。1978年(昭和53年)にはメルヘン集『風船の使者』で芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。主な句集に『長子』(1936年)、『火の島』(1939年)、『銀河依然』(1953年)、『美田』(1967年)があります。1983年(昭和58年)8月5日、急性肺炎により東京都世田谷区の病院で死去。82歳。翌1984年(昭和59年)、日本芸術院恩賜賞が贈られました。
8月5日の他の記念日
8月5日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)