西鶴忌 (記念日 8月10日)

西鶴忌
生年
1642年頃(寛永19年頃)、和歌山・中津村
忌日
旧暦元禄6年8月10日(新暦1693年9月9日)
本名
平山藤五(ひらやま とうご)との説
矢数俳諧の記録
一昼夜23500句(1684年・住吉大社)
代表作
『好色一代男』(1682年)ほか多数
墓所
大阪・誓願寺(現存・参拝可)

一昼夜で最多の発句をつくる「矢数俳諧」で、4000句を超える記録を打ち立てた俳人がいます。井原西鶴(いはら さいかく)。江戸時代前期に大坂を中心に活躍した彼の忌日、旧暦元禄6年8月10日(新暦1693年9月9日)を「西鶴忌」と呼びます。51歳という生涯でしたが、その作品群は時代を大きく塗り替えました。

1642年(寛永19年)頃、和歌山・中津村に生まれ、本名は平山藤五(ひらやま とうご)と伝わります。15歳から俳諧を志し、やがて俳人・西山宗因(にしやま そういん)に師事。宗因が唱えた談林派に加わり、従来の松尾芭蕉的な格調よりも自由奔放な詩風を追求しました。談林派は「俳諧の前衛運動」とも言える流れで、西鶴はその中でも異彩を放つ存在でした。

矢数俳諧とは、制限時間内に一人でいかに多くの発句を詠めるかを競う催し。西鶴は1684年(貞享元年)の住吉大社での興行で、一昼夜に23500句という空前絶後の記録を残したとされます。詠むスピードは1分に約20句。もはや詩の競技というより体力勝負の域で、当時の大坂の人々を熱狂させました。

俳諧師としての名を確立した後、1682年(天和2年)に浮世草子『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』を発表し、小説家としても一躍注目を集めます。これは主人公・世之介が60年にわたって好色な生涯を送る物語で、源氏物語を下敷きにしながらも庶民の感覚で書かれた当時の「ベストセラー」でした。

その後も好色物・武家物・町人物と幅広いジャンルを手がけます。『好色五人女』『武道伝来記』『日本永代蔵』『世間胸算用』など、現代でも名が知られる作品を次々と書き続けました。俳諧的な機知をとり入れた雅俗折衷(がぞくせっちゅう)の文体は独特で、性欲・物欲・義理・人情を正面から主題にすえた姿勢は、元禄文化の町人精神を体現するものでした。別号は鶴永・西鵬・松寿軒・二万翁など複数あり、それぞれ創作の時期や活動の場によって使い分けています。

大坂・四天王寺近くの誓願寺(せいがんじ)に墓があり、現在も参拝することができます。西鶴忌には墓前で句が詠まれることもあり、330年以上を経た今も俳諧・文学の世界で敬われ続けています。

8月10日のカレンダー情報

六曜 先負
吉日 大明日、母倉日
月齢 26.7

8月の二十四節気・雑節

  • 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
  • 処暑(しょしょ) 8月23日(日)