圓朝忌 (記念日 8月11日)
- 忌日
- 1900年(明治33年)8月11日
- 生年月日
- 1839年(天保10年)5月13日
- 本名
- 出淵次郎吉(いずぶち じろきち)
- 代表作
- 怪談牡丹灯籠・真景累ヶ淵・塩原多助一代記
- 墓所
- 全生庵(東京都台東区谷中)
- 別称
- 落語中興の祖・大圓朝
「怪談牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」——これらの名作を生み出した人物が、明治33年(1900年)の8月11日に62歳でこの世を去りました。初代・三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)の忌日であるこの日は「圓朝忌」と呼ばれ、東京・谷中の全生庵(ぜんしょうあん)で法要や落語奉納が行われます。圓朝は1839年(天保10年)、江戸湯島切通町に生まれました。本名は出淵次郎吉(いずぶち じろきち)。父は落語家の初代・橘屋圓太郎(たちばなや えんたろう)であり、その血を引いて芸の道へと進みます。1847年(弘化4年)に二代目・三遊亭圓生(えんしょう)の門で修行を始め、わずか16歳にして1855年(安政2年)に「圓朝」の名を名乗り真打に昇進しました。若くして頭角を現した天才肌の噺家でした。
圓朝の最大の特徴は、卓越した話芸だけでなく旺盛な創作力にありました。芝居噺・人情噺・怪談噺など多彩なジャンルにわたり、外国文学の翻案も積極的に取り入れながら数多くの演目を生み出しました。「牡丹灯籠」はフランスの小説家テオフィル・ゴーティエの作品を翻案したものとされており、時代を超えた発想力の持ち主でもありました。また観客から出されたお題三つを折り込んで即興で演じる「三題噺(さんだいばなし)」を流行させるなど、客席との一体感を大切にした演者でもありました。
圓朝の影響は落語の枠をはるかに超えていました。その口演筆記は、二葉亭四迷が小説『浮雲』を執筆する際に文体の参考とされ、明治期の言文一致運動(げんぶんいっちうんどう)に多大な貢献を果たしたといわれています。話し言葉と書き言葉を近づける運動において、圓朝の語り口が一つのモデルとなったのです。「落語中興の祖」として落語界に君臨しただけでなく、近代日本語の形成にも深く関わった人物だったといえます。
晩年の圓朝は幽霊画の収集でも知られていました。怪談噺の創作に役立てるため、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)や伝・円山応挙(まるやまおうきょ)ら著名な絵師による幽霊画を集め、その数は五十点以上に及んだとされています。現在もこれらのコレクションは全生庵に収蔵され、毎年8月に一般公開されています。圓朝の墓もこの寺に置かれており、忌日を中心に「谷中圓朝まつり」が開かれ、落語ファンが集います。
8月11日の他の記念日
8月11日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)