『君が代』記念日 (記念日 8月12日)
- 布告年月日
- 1893年(明治26年)3月10日
- 歌詞の音節数
- 31音節(5・7・5・7・7)
- 歌詞の原典
- 『古今和歌集』(905年)所収・読み人知らず
- 初演奏
- 1880年(明治13年)11月3日、天長節の宮中
- 国歌法制化
- 1999年(平成11年)8月9日
- 現旋律の作曲者
- 林広守(宮内庁雅楽課)
世界の国歌の中で最も短い部類に入る国歌——それが日本の国歌『君が代』です。歌詞はわずか5・7・5・7・7の31音節。それにもかかわらず、この歌が現在の形に至るまでには、明治期の日本が西洋と格闘した歴史が刻まれています。
1893年(明治26年)3月10日、文部省は訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日に歌うべき唱歌として『君が代』をはじめとする8曲を定めました。この日が「『君が代』記念日」とされる由来です。ただし、『君が代』そのものの歴史はさらに古くさかのぼります。
歌詞の原形は、平安時代の歌集『古今和歌集』(905年)に収められた「読み人知らず」の和歌です。「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」——長い繁栄を願う雅な言葉が、なぜ国歌になったのか。きっかけは明治初期、来日していたイギリス軍楽隊長ジョン・フェントン(John Fenton、1831〜1890年)の一言でした。
フェントンは、日本に国歌がないことを惜しみ、練習生を介して作曲を申し出ます。この提案を受け、薩摩藩士の大山巌らが歌詞の選定にあたり、フェントンが曲を付けました。しかし完成した旋律は歌詞との調和に難があるとされ、普及には至りませんでした。その後、宮内庁雅楽課の林広守(はやし ひろもり、1831〜1896年)が現在のような雅楽調の旋律に作り替え、ドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが西洋的な和声を加えて整えました。1880年(明治13年)11月3日の天長節、現在の『君が代』は初めて宮中で披露されます。
それから約120年、『君が代』は長らく慣習上の国歌として扱われてきましたが、法的な根拠はありませんでした。1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」の施行によって、初めて正式な国歌として法制化されます。それまでの国歌の地位は、言わば「不文律」だったわけです。
平安の和歌が明治の国家儀礼へ、そして現代の法律へ——31音節の中に、日本の近現代史が凝縮されています。1893年3月10日の文部省布告は、その長い旅の重要な一里塚でした。
参考リンク
8月12日の他の記念日
8月12日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)