蕃山忌 (記念日 8月17日)
- 生誕
- 1619年(元和5年)、京都稲荷
- 没年・享年
- 1691年(元禄4年)、享年72歳
- 仕えた藩主
- 備前国岡山藩主・池田光政
- 師
- 中江藤樹(陽明学)
- 禁錮処分の理由
- 著書『大学或問』による幕政批判
- 主な著書
- 『集義和書』『集義外書』『大学或問』
幕府批判の書を著したとして、68歳の高齢で禁錮処分を受けた儒学者がいました。熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)です。3月7日は、1691年(元禄4年)に蕃山が古河城内で72歳の生涯を閉じた日(旧暦)にあたります。
1619年(元和5年)、京都稲荷に生まれた蕃山は、8歳で母方の祖父の養子となり熊沢姓を名乗ります。長じて備前国岡山藩主・池田光政に仕え、家老として藩政を主導。治山・治水・飢饉救済など実務的な施政で大きな実績を残しました。陽明学者・中江藤樹のもとで陽明学を学び、後に朱子学も兼修したその学風は、どちらか一方に収まらない折衷的なものでした。中国の老子の思想の影響も指摘されており、既存の学派に縛られない独自の視座を持った人物でした。
1657年(明暦3年)、38歳で隠退した後は京都に私塾を開きます。しかし名声が高まるにつれ中傷も増し、大和国吉野山(現・奈良県吉野町)や山城国鹿背山(現・京都府木津川市)など各地を転々とする生活を余儀なくされました。知識人が脚光を浴びるほど攻撃にさらされるという、時代の矛盾を体現した前半生でした。
そして1687年(貞享4年)、著書『大学或問(だいがくわくもん)』が幕政を批判したとして問題視され、下総国古河(現・茨城県古河市)への禁錮処分が下ります。68歳という年齢にもかかわらず、です。ただし古河藩は蕃山の治山・治水の知識を頼りにしており、藩士への指導を許すなど処遇には一定の融通もあったといいます。蕃山はその地で4年を過ごし、1691年に病没しました。
著書には『集義和書』『集義外書』『源氏外伝』などがあります。朱子学でも陽明学でもない独自の実学的儒学は、後の日本思想史に静かな影響を与え続けました。禁錮という不遇の晩年を経てもなお、その学識が現地で頼りにされ続けた事実が、蕃山という人物の実像を物語っています。
参考リンク
8月17日の他の記念日
8月17日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)