荒磯忌 (記念日 8月17日)
- 生誕
- 1907年(明治40年)1月30日、福井県三国町
- 没年・享年
- 1965年(昭和40年)8月17日、享年58歳
- 死因
- 食道癌
- 芥川賞候補作
- 『故旧忘れ得べき』(1935年、第1回)
- 代表詩集
- 『死の淵より』(1964年)
- 没後追贈
- 文化功労者
婚外子として生まれ、実父と一度も会うことなく母の針仕事で育った少年が、やがて昭和文学を代表する作家となりました。高見順(本名:高間芳雄)は1907年(明治40年)、福井県三国町に生まれます。父は当時の福井県知事でしたが、その庇護を受けることはなく、母子で上京した後は貧しい暮らしの中で学問を重ねました。東京帝国大学英文科を卒業後、プロレタリア文学運動に参加しますが、1933年(昭和8年)に治安維持法違反の疑いで検挙され、転向を余儀なくされます。留置中には妻にも去られ、思想の放棄と家庭の崩壊という二重の痛手を負いながら書き続けた小説『故旧忘れ得べき』(1935年)は、第1回芥川賞の候補作となりました。
戦前には浅草の猥雑な活気を生き生きと描いた『如何なる星の下に』(1939年)を発表。戦後も精力的に書き続け、長編小説『いやな感じ』(1960〜63年)では日本近代史の暗部に鋭く向き合いました。詩人としても知られ、詩集『樹木派』(1950年)や、癌と闘いながら書いた『死の淵より』(1964年)には、生と死への深い凝視が刻まれています。また、死の直前まで綴り続けた『高見順日記』は、昭和史の貴重な一次資料として今も参照され続けています。
晩年の高見順が心血を注いだのは、日本近代文学館の創設でした。散逸しつつある近代文学の資料を後世に残すため、同志たちと奔走しましたが、館の落成を目前に1965年(昭和40年)8月17日、食道癌のため千葉市の病院で死去します。58歳でした。没後には文化功労者が追贈されています。「荒磯忌」の名は、荒波に削られながらも岩礁として立ち続けた彼の生涯を映すかのように、詩『荒磯』にちなんで付けられました。
8月17日の他の記念日
8月17日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)