太閤忌 (記念日 8月18日)
- 忌日(旧暦)
- 1598年(慶長3年)8月18日
- 没地
- 京都・伏見城
- 享年
- 61歳
- 出生地
- 尾張国中村郷(現:名古屋市中村区)
- 関連神社
- 豊国神社(京都市東山区)
- 例祭日
- 9月18日・19日(新暦換算)
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」——これは、1598年(慶長3年)8月18日に京都・伏見城で病死した豊臣秀吉が残した辞世の句です。太閤忌(たいこうき)は、この日を旧暦で迎える忌日であり、秀吉に贈られた称号「太閤」にちなんで名付けられています。「太閤」とは本来、摂政や関白の職を子弟に譲った者を指す言葉ですが、太閤検地をはじめとする施策との結びつきから、太閤といえば秀吉その人を指すのが一般的な用法として定着しています。
秀吉は1537年(天文6年)、尾張国中村郷(現:愛知県名古屋市中村区)の下層民の家に生まれました。幼名は日吉丸。足軽として織田信長に仕えた後、機敏な才覚と武功により急速に頭角を現します。1573年(天正元年)、近江を拝領して長浜城主となった際に「木下藤吉郎」から「羽柴秀吉」へと改名しました。
1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が倒れると、山崎の戦いで明智光秀を討ち、翌年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破ります。1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)には豊臣姓と太政大臣の位を得て、天下統一への歩みを完成させました。国内統合後は太閤検地・刀狩り・兵農分離・石高制など、後の幕藩体制の基礎となる諸政策を全国規模で断行しています。晩年は朝鮮出兵を企てましたが、戦局半ばにして病に倒れ、61歳でその生涯を閉じました。京都市東山区の豊国神社(とよくにじんじゃ)は秀吉を祀る社で、忌日の新暦にあたる9月18日・19日には例祭と献茶祭が執り行われます。刀狩りや検地で天下人の威を示した秀吉の足跡は、今も神社の祭礼として受け継がれています。
参考リンク
8月18日の他の記念日
8月18日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)