義秀忌 (記念日 8月19日)

義秀忌
生年月日
1900年(明治33年)10月5日
没年月日
1969年(昭和44年)8月19日(享年68歳)
出身地
福島県西白河郡大屋村(現:白河市)
芥川賞受賞作
「厚物咲」(第7回・1938年)
野間文芸賞受賞作
「蒼廡」(1964年)
記念文学館
中山義秀記念文学館(白河市・1993年開館)

芥川賞を受賞した翌年に発表した「碑」が、文壇での地位を不動のものにしました。中山義秀(なかやま ぎしゅう)——福島県出身のこの小説家は、長い無名時代を耐え抜いたのち、歴史小説と現代小説の両分野で独自の境地を開いた作家です。1969年(昭和44年)8月19日、食道癌のため68歳で亡くなりました。その忌日を「義秀忌」と呼び、秋の季語にもなっています。

1900年(明治33年)、福島県西白河郡大屋村(現:白河市)に生まれました。本名は議秀(よしひで)。1923年(大正12年)に早稲田大学文学部英文科を卒業し、在学中には横光利一(よこみつ りいち)らと同人誌「塔」を創刊しています。しかし卒業後は身辺の不幸が続き、文壇デビューまでに長い時間を要しました。1936年(昭和11年)にようやく最初の小説集「電光」を刊行し、文芸評論家の小林秀雄(こばやし ひでお)に認められたことで、その存在が広く知られるようになります。

1938年(昭和13年)、同じ福島県の岩瀬郡長沼町(現:須賀川市)を舞台にした短編「厚物咲(あつものざき)」で第7回芥川賞を受賞します。菊の大輪を題材にしたこの作品は、人間の執念と美への問いを静かに描いた傑作として評価されました。翌1939年には、幕末の天狗党に加わった祖父をモデルにした「碑(いしぶみ)」を発表。史実と個人史を重ね合わせるこの手法が、のちの歴史小説へと連なっていきます。

戦後も精力的に筆を執り、1948年(昭和23年)には南洋の激戦を描いた「テニヤンの末日」を発表。また同年刊行の「信夫の鷹(しのぶのたか)」など、歴史小説でも存在感を示しました。1964年(昭和39年)には明智光秀を主人公にした「蒼廡(しょうあん)」で野間文芸賞を、1966年(昭和41年)には日本芸術院賞を受賞しています。兄事した横光利一の生涯を描いた「台上の月」(1962〜63年)は、師への敬慕と文学的誠実さが滲む晩年の代表作です。絶筆となった「芭蕉庵桃青(ばしょうあんとうせい)」は没後の1970年(昭和45年)に刊行されました。死の直前まで松尾芭蕉を主人公にした大作に向き合い続けた姿勢は、作家としての矜持を示すものです。1971年には千葉・成田山新勝寺境内の成田山公園に文学碑が建てられ、1993年(平成5年)には郷里の白河市に中山義秀記念文学館が開館。優れた歴史小説を顕彰する「中山義秀文学賞」も創設され、その名は今も福島の文学土壌に深く根ざしています。

8月19日のカレンダー情報

六曜 先勝
吉日 神吉日、天恩日、母倉日
月齢 6.4

8月の二十四節気・雑節

  • 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
  • 処暑(しょしょ) 8月23日(日)