定家忌 (記念日 8月20日)
- 生没年
- 1162年(応保2年)〜1241年(仁治2年)
- 享年
- 80歳
- 別名
- 京極中納言・法名は明静(みょうじょう)
- 主な撰集
- 『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』『小倉百人一首』
- 国宝指定の著作
- 日記『明月記』(2000年指定)
- 父
- 藤原俊成(公家・歌人)
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて生きた公家・歌人、藤原定家(1162〜1241年)。旧暦8月20日、80歳でその生涯を閉じた忌日が「定家忌」(ていかき)です。定家の名は「ていか」と音読みされるのが一般的で、「さだいえ」と訓読みする場合もあります。父は「幽玄」の美を追求した歌人・藤原俊成(しゅんぜい)。その父のあとを継ぎ、定家は有心体(うしんたい)と呼ばれる情趣深い歌風を確立し、歌壇の最高権威として君臨しました。
定家の業績として特に知られるのが、二つの勅撰和歌集の撰者を務めたことです。後鳥羽上皇の命を受けて『新古今和歌集』(1205年)の編纂に中心的役割を果たし、さらに後堀河天皇の勅命で『新勅撰和歌集』(1235年)を単独で撰進しました。定家自身の代表歌「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」は、武士・歌人の宇都宮頼綱の依頼で撰んだ『小倉百人一首』にも収められており、恋の焦がれを藻塩に重ねた幻想的な情景が今日まで愛されています。
和歌の才能にとどまらず、定家は『源氏物語』『土佐日記』など多くの古典文学の書写・校訂にも精力を注ぎました。この作業の中で定家が用いた仮名遣いは「定家仮名遣(ていかかなづかい)」として後世に引き継がれ、明治時代まで規範として機能し続けました。『松浦宮物語』の作者も定家とする説が有力で、物語文学への関与も見逃せません。約60年にわたって書き続けた日記『明月記(めいげつき)』は、当時の宮廷生活・政治動向・天文現象(超新星の記録など)を伝える第一級の史料で、2000年(平成12年)に国宝に指定されました。ほかにも家集『拾遺愚草』、歌論書『近代秀歌』『毎月抄』『詠歌大概』など著作は多岐にわたり、歌人・学者・書写者として日本文化史に深く刻まれた人物です。
8月20日の他の記念日
8月20日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)