白虎隊自刃の日 (記念日 8月23日)
- 自刃の年
- 1868年(慶応4年)9月22日
- 隊員の年齢
- 16〜17歳の少年
- 自刃した人数
- 20名(士中二番隊)
- 場所
- 福島県会津若松市・飯盛山
- 所属
- 会津藩・奥羽越列藩同盟
- 戦争
- 戊辰戦争(1868〜1869年)
1868年(慶応4年)9月22日、飯盛山の頂に立った16〜17歳の少年たちは、煙に霞む城下を見て「若松城が落ちた」と判断しました。彼らは会津藩の精鋭部隊「白虎隊」士中二番隊の隊員20名。その場で全員が自刃したのが、白虎隊自刃の日として伝えられる出来事です。
白虎隊が生まれた背景には、戊辰戦争があります。1868年から翌年にかけて続いたこの戦いは、明治新政府軍と徳川旧幕府側勢力との間で繰り広げられた内戦です。会津藩は奥羽越列藩同盟の中核として官軍と対峙し、徹底抗戦の姿勢を崩しませんでした。
会津藩は戦時編制として、藩士を年齢別に四つの部隊へ分けました。玄武・青龍・朱雀・白虎の四神にちなんだ名称で、白虎隊は最も年若い16〜17歳の少年で構成されていました。本来は非常時の後備として位置づけられていた白虎隊ですが、戦局の悪化により越後戦争や会津戦争に実戦投入されています。
自刃当日、飯盛山にいた士中二番隊の隊員たちは激戦を経て山中に退避した後、城下に火の手が上がるのを目にします。実際には若松城はまだ落ちておらず、城下の民家などが燃えていたとされますが、疲弊しきった少年たちはそれを城の炎上と見誤りました。藩の命運が尽きたと判断した20名は、その場で次々と自刃しました。一名は近隣の女性に発見されて一命を取り留めたとも伝わっており、その後も長く生き続けて白虎隊の証言者となりました。少年たちが見た炎が城ではなく城下の火事だったという事実は、後世に深く刻まれています。
飯盛山は現在も会津若松市内に残り、自刃の地として整備されています。白虎隊士の墓や自刃した場所を示す碑が立ち、毎年この日に慰霊祭が営まれます。なお、この記念日は「白虎隊の日」と表記されることもあります。
8月23日の他の記念日
8月23日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)