一遍忌 (記念日 8月23日)
- 生誕
- 延応元年2月15日(旧暦)/1239年
- 入寂
- 正応2年8月23日(旧暦)/1289年(享年51歳)
- 出身地
- 伊予国久米郡(現・愛媛県松山市付近)
- 宗派
- 時宗(開祖)
- 尊称
- 一遍上人・遊行上人・捨聖
- 踊念仏の始まり
- 弘安2年(1279年)、信濃国佐久郡
「いっそこの場で命を終えよう」——武士に行く手を阻まれながら、一遍上人はそう言い放ちました。弘安5年(1282年)、鎌倉への入城を制止された場面での言葉です。気迫に押された武士は鎌倉の外ならばと道を開け、一遍は片瀬(現・神奈川県藤沢市)へ向かい、浜辺での踊念仏は瞬く間に貴賤を問わず人々を熱狂させました。この光景こそが、一遍という僧侶の姿を端的に物語っています。延応元年(1239年)、伊予国久米郡(現・愛媛県松山市付近)の豪族・河野通広の次男として生まれた一遍は、10歳で母を失い、父の勧めで出家して随縁と名乗りました。13歳からは大宰府に赴き、浄土宗の開祖・法然の孫弟子にあたる聖達のもとで10年以上修行を積みます。その後、いったん還俗して結婚・子をもうけますが、30代で再び出家の道へと戻りました。
大きな転機となったのは、文永11年(1274年)の熊野本宮での神勅です。「信不信を選ばず、浄不浄をきらわず、念仏札を配れ」——この言葉を受けた一遍は「一遍」と改名し、全国の遊行(諸国行脚)に生涯を捧げる決意を固めました。以来、一切の私有財産を捨て、家族も持たず、死ぬまで諸国を歩き続けます。「捨聖(すてひじり)」という尊称は、この徹底した無所有の姿勢から生まれました。
弘安2年(1279年)、信濃国佐久郡(現・長野県)の遊行中に始めたとされる踊念仏は、空也上人に倣い念仏と踊りを一体化させたものです。鉦(かね)を叩きながら跳び、唱えながら舞うその姿は、文字も読めない民衆にまで念仏の喜びを直接伝える方法として絶大な効果を発揮しました。身分・性別・浄不浄を一切問わない布教は、鎌倉仏教の中でも際立って革新的なものでした。
弘安3年(1280年)頃には、常に行動をともにする集団「時衆(じしゅう)」が形成され、時宗はここに実質的な宗派として成立します。正応2年(1289年)8月23日(旧暦)、摂津国兵庫(現・神戸市)の観音堂にて51歳で入寂。臨終に際し、所持していた経典や聖教のすべてを焚いて「一代の聖教みな火の中に入れよ」と語ったと伝えられ、最後の瞬間まで「捨てる」ことを体現した生涯でした。忌日は「一遍忌」のほか「遊行忌」とも呼ばれ、今も時宗の寺院で営まれています。
8月23日の他の記念日
8月23日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)