ポンペイ最後の日 (記念日 8月24日)
- 噴火年
- 西暦79年8月24日(現地調査では10月頃とする説もあり)
- 火山名
- ヴェスビアス火山(ヴェスヴィオ火山)/イタリア・ナポリ近郊
- 埋没の深さ
- 約6〜8メートル(火山灰・軽石)
- 発掘開始
- 1738年(農夫の発見)、1748年(正式調査開始)
- 原作小説
- エドワード・ブルワー=リットン『ポンペイ最後の日』(1834年)
- 映画化回数
- 1913年・1926年・1935年・1959年など複数回映画化
噴火から逃げ切れなかった人々が、最期の瞬間のまま地中に封じ込められていました。時速100kmを超える火砕流が迫るなか、逃げる間もなく息絶えた市民の姿が、2000年近い時を超えて地上に現れたのです。西暦79年8月24日、イタリア・ヴェスビアス火山の大噴火によって、ローマ帝国の都市ポンペイはわずか1日のうちに6〜8メートルの火山灰と軽石の下へと消えました。
当時のポンペイは推定人口2万人を抱えるナポリ湾沿いの繁栄した港町でした。商業と文化が花開き、広場や神殿、公衆浴場、劇場が整備された豊かな都市生活が営まれていました。その日の昼ごろ、突如として火口から高度30kmの成層圏にまで達する巨大な噴煙が立ち上り、まもなく火山灰が空を覆い尽くしました。翌朝には火砕流が市街を直撃し、生き残った人々の多くも逃げる術を失いました。町全体がそのまま地中に埋まり、長い眠りにつきました。
ポンペイが再び人の目に触れたのは、それから約1700年後のことです。1738年、農夫による偶然の発見をきっかけに遺跡の存在が明らかとなり、1748年には正式な発掘調査が始まりました。火山灰はシリカゲルに似た成分を含んでいたため湿気を吸収し、フレスコ画や彫刻、日用品をほぼ完全な状態で保存していました。とりわけ衝撃的だったのは、1860年代に発掘家ジュゼッペ・フィオレッリが考案した石膏注入法です。火山灰の中に遺体が残した空洞に石膏を流し込むことで、最期の瞬間のポーズのまま亡くなった市民の姿が立体的に復元されました。抱き合う夫婦、子どもをかばう親、口を覆って倒れた人々——いずれも2000年近く前の現実をそのまま伝えています。
この劇的な歴史は、後世の文学と映画に大きな影響を与えました。イギリスの歴史小説家エドワード・ブルワー=リットンは実際にポンペイを訪れて着想を得て、1834年に小説『ポンペイ最後の日』を発表しました。愛と正義、そして逃れられない自然の猛威を描いたこの作品は19世紀を代表するベストセラーとなり、1913年・1926年・1935年・1959年と幾度も映画化されています。記念日の名もこの小説に由来しています。
今もポンペイの発掘は続いており、近年の調査では噴火の正確な日付が8月24日ではなく10月頃だった可能性も浮上しています。炭化したオリーブや秋の果物の痕跡、そして壁に書き残された落書きの日付などが新たな証拠として注目されています。約2000年の時を経てなお謎を秘めるポンペイは、これからも人類の記憶に語り継がれていくでしょう。
8月24日の他の記念日
8月24日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)