くちなし忌 (記念日 8月24日)
- 忌日
- 1979年(昭和54年)8月24日
- 享年
- 77歳(胆のうがんのため死去)
- 出身地
- 福井県坂井郡高椋村(現:坂井市丸岡町)
- 主な受賞
- 毎日出版文化賞・読売文学賞・野間文芸賞・朝日賞
- 忌日行事
- 生家跡にてホオズキ献花・記念講演会
「転向を条件に出所する」——その一文が、中野重治という作家の人生の屈折点を象徴しています。1932年(昭和7年)に検挙・投獄され、1934年(昭和9年)に転向を迫られて釈放された中野は、その葛藤をそのまま小説『村の家』(1935年)に刻みました。イデオロギーと文学的誠実さのあいだで揺れ続けた生涯は、昭和文学のなかでもひときわ緊張感を帯びています。
1902年(明治35年)、福井県坂井郡高椋村(現:坂井市丸岡町)に生まれた中野は、金沢の第四高等学校時代に窪川鶴次郎らと出会い、短歌・詩・小説の世界へ踏み込みます。室生犀星との縁もこの頃に結ばれました。東京帝国大学独文科在学中の1926年(大正15年)には、窪川・堀辰雄らと同人雑誌『驢馬(ろば)』を創刊して詩を発表する一方、新人会を通じてマルクス主義運動にも深く関わります。
1928年(昭和3年)の全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成、1931年(昭和6年)の日本共産党入党と、中野の歩みは常に文学と政治の交点にありました。検挙・転向・出所という試練を経てもなお筆を置かず、終戦直後の1945年(昭和20年)11月には党に再入党し、宮本百合子・蔵原惟人らとともに新日本文学会を創立。1947年から1950年には参議院議員も務めています。1964年(昭和39年)には党の方針と対立して除名されるという波乱もありましたが、その間も『むらぎも』(毎日出版文化賞)、『梨の花』(読売文学賞)、『甲乙丙丁』(野間文芸賞)と着実に文学的業績を重ね、1978年(昭和53年)には朝日賞を受賞しています。
1979年(昭和54年)8月24日、東京都新宿区の病院で胆のうがんのため77歳で死去。この忌日にちなんで、出生地・福井県坂井市丸岡町の生家跡では「くちなし忌」が開かれます。全国から中野文学のファンが集い、ホオズキを捧げながら遺徳を偲ぶとともに、記念講演会も催されます。くちなしの白い花のように、妥協せず透明であろうとした詩人・小説家の姿が、この名に重なります。
参考リンク
8月24日の他の記念日
8月24日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)