許六忌 (記念日 8月26日)
- 没年
- 1715年(正徳5年)8月26日(旧暦)
- 享年
- 59歳
- 出身
- 近江国(現:滋賀県)彦根藩士
- 芭蕉入門
- 1692年(元禄5年)深川にて
- 主な著書
- 俳諧問答・風俗文選・歴代滑稽伝
- 別号
- 五老井・菊阿仏
松尾芭蕉がわずか10ヵ月足らずで「俳諧の奥伝書」まで授けた弟子がいます。森川許六(もりかわ きょりく)、近江国彦根藩の武士にして、剣術・馬術・槍術・漢詩・絵画・和歌の六芸に通じた異色の俳人です。許六忌は、この多芸の才人が1715年(正徳5年)8月26日(旧暦)に59歳で世を去った日にちなむ忌日です。許六は1656年(明暦2年)、彦根藩士の家に生まれました。本名は百仲(ももなか)。若くして武芸を磨く一方、漢詩の素養を積み、絵画は狩野探幽の弟で奥絵師の狩野安信に師事しています。俳諧の世界には北村季吟らのもとで足を踏み入れ、当初は談林派に属していました。
転機は1692年(元禄5年)に訪れます。公務で江戸へ出た許六は、深川に住む芭蕉の門を叩きました。このとき許六は36歳、芭蕉は48歳。六つの芸に秀でた許六の才能を認めた芭蕉が、「六芸を許す」の意を込めて「許六」の号を与えたと伝わります。師弟の関係は対等に近いもので、芭蕉が許六に俳諧の神髄を説く傍ら、許六は芭蕉に絵の手ほどきをしたとされています。
翌1693年(元禄6年)、彦根へ帰任する許六に芭蕉は『柴門之辞(さいもんのじ)』と俳諧の奥伝書を手渡しました。門弟の中でも奥伝書を受けた者はごく限られており、芭蕉がいかに許六を高く評価していたかがうかがえます。
1694年に芭蕉が没すると、許六は蕉門十哲の一人として蕉風の正統な継承者を自任し、彦根を拠点に俳壇の指導にあたりました。この時期に残した著作が、許六の名を後世に伝えています。芭蕉との問答をまとめた『俳諧問答』は蕉風俳論の第一級資料として知られ、俳文の模範を示した『風俗文選(ふうぞくもんぜん)』、古今の滑稽譚を集めた『歴代滑稽伝』など、いずれも江戸俳諧史を語るうえで欠かせない文献です。五老井・菊阿仏といった別号でも作品を残しています。
武士でありながら文芸と絵画の両面で一流の仕事を成し遂げた許六。芭蕉との出会いからわずか10ヵ月に満たない薫陶が、彦根の藩士を蕉門屈指の理論家へと変えました。許六忌は、師と弟子の濃密な交わりが生んだ江戸俳諧の一つの到達点を静かに偲ぶ日です。
8月26日の他の記念日
8月26日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)