益軒忌 (記念日 8月27日)
- 忌日
- 旧暦8月27日(1714年)
- 本名
- 貝原篤信(あつのぶ)
- 享年
- 84歳
- 出身地
- 筑前国(現:福岡県)
- 代表著作
- 『養生訓』『大和本草』
- 仕えた藩
- 福岡藩(黒田家)
84歳で没するまでに60部270余巻もの著作を残した儒学者・貝原益軒(かいばら えきけん)。益軒忌は、その膨大な知の足跡を偲ぶ忌日です。旧暦8月27日、1714年(正徳4年)に福岡の地で生涯を閉じました。
益軒は1630年(寛永7年)、筑前国(現在の福岡県)に生まれています。名は篤信(あつのぶ)、通称は久兵衛。祖父の代から黒田家に仕える家柄でした。18歳で福岡藩に出仕しますが、武断派として知られる第2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年もの浪人生活を余儀なくされます。しかしこの不遇の時期が、後の益軒を形作りました。浪人中に医学修業へ打ち込み、学問の基礎を徹底的に固めたのです。
26歳のとき、文治派の第3代藩主・黒田光之に許されて藩医として復帰。さらに藩命で京都に遊学し、本草学や朱子学、陽明学を修めます。京都では木下順庵、山崎闇斎、松永尺五といった当代一流の儒学者たちと交友を深め、知的ネットワークを広げていきました。34歳で帰藩した後は藩政にも携わりながら、研究と執筆を続けています。
69歳で役を退いてからの15年間が、益軒の著述家としての真骨頂です。黒田家の正史『黒田家譜』(1688年)はすでに完成させていましたが、晩年に次々と代表作を世に送り出します。日本初の本格的な本草書『大和本草』(1709年)では、動植物・鉱物など1362種を分類・記述しました。児童教育の指南書『和俗童子訓』(1710年)、そして最晩年の『養生訓』(1713年)は、食事・運動・心の持ち方まで網羅した健康指南書として、刊行から300年以上経った今も版を重ねています。
益軒の学問の特徴は、書斎にこもる机上の学ではなく、実地踏査と観察を重んじた点にあります。本草学の研究では自ら山野を歩いて植物を観察し、『大和本草』の記述に反映させました。没年に遺した随筆『慎思録』には、朱子学への批判的考察も記されており、最晩年まで既存の権威に寄りかからない知的姿勢を貫いたことがうかがえます。筑前の一藩医から出発し、日本の博物学・教育・養生思想に広く足跡を刻んだ益軒。その忌日は、実証と好奇心に支えられた生涯を静かに振り返る日です。
参考リンク
8月27日の他の記念日
8月27日のカレンダー情報
8月の二十四節気・雑節
- 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
- 処暑(しょしょ) 8月23日(日)