マッカーサー進駐記念日 (記念日 8月30日)

マッカーサー進駐記念日
到着日
1945年(昭和20年)8月30日
到着地
神奈川県・厚木海軍飛行場
専用機
バターン号
滞在先
横浜・ホテルニューグランド
執務拠点
東京・第一生命館(GHQ本部)
司令官在任期間
1945年8月〜1951年4月11日

1945年(昭和20年)8月30日、コーンパイプをくわえたダグラス・マッカーサー元帥が専用機「バターン号」のタラップを降り、厚木海軍飛行場の地を踏んだ。日本の無条件降伏から15日後のことです。連合国日本占領軍最高司令官として、マッカーサーはこの瞬間から日本の命運を握る存在となりました。

マッカーサーは1880年、アーカンソー州に生まれ、ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業した職業軍人です。フィリピン防衛戦では撤退を余儀なくされたものの「私は戻る(I shall return)」と宣言し、1944年に奪還を果たした。太平洋戦線の最高司令官として日本本土への進攻を指揮し、終戦交渉においても中心的な役割を担いました。

厚木到着後、マッカーサーは横浜の「ホテルニューグランド」に滞在しました。同ホテルは関東大震災後の1927年に開業した西洋式の高級ホテルで、マッカーサーはそこで執務と宿泊をこなしながら降伏文書調印式の準備を進めました。調印式は9月2日、東京湾に停泊した戦艦ミズーリ号の甲板上で執り行われ、マッカーサーはアメリカ代表として署名しました。

その後、マッカーサーの拠点は東京・日比谷に移ります。連合国軍が接収した皇居前の第一生命館が「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)」の本部となり、マッカーサーはここを執務の場としました。大統領ハリー・S・トルーマンから与えられた権限は「アメリカ史上空前の全権」と称されるほど広大なもので、日本の政治・経済・社会制度の改革を次々と推進しました。

マッカーサーの指揮のもと、日本では農地改革、財閥解体、新憲法の制定など、戦後の日本社会の骨格をなす諸改革が断行されました。GHQ占領期間は1952年のサンフランシスコ講和条約発効まで続きますが、マッカーサー自身は1951年4月11日、朝鮮戦争をめぐる対立からトルーマン大統領に解任され、日本を離れました。解任の報が伝わると、東京の街には日本市民が沿道に並び、マッカーサーを見送ったと伝えられています。なお、彼が日本に滞在した約6年間は、近代日本史においてもっとも急速に制度が書き換えられた時期と重なります。

厚木飛行場への降り立ちは、現代日本の起点です。

8月30日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 一粒万倍日
月齢 17.4

8月の二十四節気・雑節

  • 立秋(りっしゅう) 8月7日(金)
  • 処暑(しょしょ) 8月23日(日)