ホームラン記念日 (記念日 9月3日)

ホームラン記念日
記録達成日
1977年(昭和52年)9月3日
球場
後楽園球場(東京都文京区)
対戦相手
ヤクルトスワローズ(対戦投手:鈴木康二朗)
更新した記録
ハンク・アーロン(アトランタ・ブレーブス)の通算755本
現役引退時の通算本塁打
868本(世界記録)
国民栄誉賞授与日
1977年9月5日(第1号受賞者)

1977年(昭和52年)9月3日、後楽園球場の夜空にその打球は舞い上がりました。3回裏、2ストライク2ボールのカウントから、ヤクルト・鈴木康二朗投手が投じた内角寄りの球を、王貞治は一閃しました。打球はライナーを描いてライトスタンドへ飛び込み、スコアボードに「756」の数字が刻まれた瞬間、後楽園球場は5万人以上の大歓声に包まれました。それまでアメリカ大リーグのハンク・アーロンが保持していた通算本塁打の世界最多記録を、王は日本のプロ野球の舞台で塗り替えました。アーロンは1974年に打ち立てた755本という金字塔を誇っていましたが、王はシーズン中盤から「いつ抜くか」という注目を一身に集めながら、その重圧のなかで静かに、そして確実に積み重ねてきました。

王貞治が本塁打という武器を磨き上げた背景には、荒川博コーチとともに取り組んだ「一本足打法」の長年にわたる鍛錬がありました。素振り一万回という言葉が象徴するように、その打撃スタイルは単なる技術ではなく、武道に近い精神修養の結晶でした。打率よりも本塁打に特化した打者としての覚悟が、世界記録への道を切り開きました。

記録達成から2日後の9月5日、政府は王に対して「国民栄誉賞」を授与しました。これは同賞の第1号であり、スポーツ選手の功績を国家として讃える先例となりました。

王は1980年の現役引退までに通算868本の本塁打を積み上げ、最終的には自らの世界記録をさらに更新しました。シーズン本塁打でも55本(1964年)を記録し、15回の本塁打王タイトルを獲得しています。巨人がリーグ9連覇(V9)を達成した1965年から1973年の黄金期において、長嶋茂雄とともに打線の中心を担い続けました。引退後は福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の監督を務め、2011年のWBC優勝監督としても日本野球の発展に貢献しました。2010年(平成22年)には文化功労者として顕彰され、球場の外でもその功績が改めて評価されました。

9月3日はホームラン記念日として語り継がれ、世界の舞台で一人の日本人打者が打ち立てた記録の重みは、半世紀近くを経た今も色褪せません。

9月3日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 天恩日、母倉日
月齢 21.4

9月の二十四節気・雑節

  • 白露(はくろ) 9月7日(月)
  • 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
  • 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
  • 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
  • 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
  • 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)