(旧)司法保護記念日 (記念日 9月13日)
- 制定年
- 1925年(大正14年)
- 当初の名称
- 保護デー
- 改称年
- 1937年(昭和12年)に「司法保護記念日」
- 統合年
- 1952年(昭和27年)
- 統合先
- 11月27日「更生保護記念日」
- 由来の出来事
- 明治天皇大喪時の恩赦詔勅(9月26日)
刑事司法の役割は、犯罪を裁くだけでなく、罪を犯した人が社会に戻り、再び地域の一員として生きられるよう支えることにもあります。その考え方を制度として根づかせようとした動きのひとつが、1925年(大正14年)に制定された「保護デー」です。後に「司法保護記念日」と呼ばれたこの記念日は、日本における更生保護の歴史を語る上で欠かせない存在でした。記念日の起源は、明治天皇の大喪(たいそう)にさかのぼります。1912年(大正元年)、明治天皇が崩御されると国の喪に服す儀式として大喪が執り行われ、その際に恩赦の詔勅が発せられました。詔勅が出されたのは9月26日のことで、これをきっかけに釈放された人々を社会的に支援・保護する事業が本格化します。釈放者の保護という概念がまだ十分に制度化されていなかった時代に、この恩赦が官民の保護活動を促す重要な転換点となったのです。
そして1925年(大正14年)、この恩赦の詔勅が出された日を記念する形で「保護デー」が制定されました。更生保護の意義を広く社会に伝え、釈放者を受け入れる機運を高めることが目的でした。その後、1937年(昭和12年)には「司法保護記念日」と改称され、保護司制度など司法が主導する更生支援の象徴的な日として位置づけられます。
戦後の1952年(昭和27年)、司法保護記念日は4月17日の「少年保護記念日」とともに整理・統合され、11月27日の「更生保護記念日」として新たな出発を迎えました。更生保護という概念が成人・少年を問わず一体的に捉えられるようになった時代の変化を反映した統合でした。
日本における更生保護の制度的な礎は、1888年(明治21年)に静岡県で設立された釈放者保護団体にまでさかのぼるとされます。民間の有志が中心となって釈放者に宿所や職業を斡旋したこの取り組みが、後の保護司制度や更生保護施設へとつながっていきます。「保護デー」の制定は、そうした民間の積み重ねを国として公式に認め、記念日という形で社会全体に訴えかけようとした試みでもありました。
現在の「更生保護記念日」(11月27日)へと引き継がれたこの記念日の系譜は、釈放者・保護観察対象者を孤立させず社会で支えるという理念が、大正期から今日まで一貫して受け継がれてきたことを示しています。罪を犯した人の社会復帰を支える仕組みは、時代とともに形を変えながらも、その根本にある精神は変わっていません。
参考リンク
9月13日の他の記念日
9月13日のカレンダー情報
9月の二十四節気・雑節
- 白露(はくろ) 9月7日(月)
- 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
- 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
- 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
- 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
- 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)