関ケ原合戦の日 (記念日 9月15日)
- 合戦の日付
- 慶長5年9月15日(1600年10月21日)
- 東軍総大将
- 徳川家康(1543〜1616年)
- 西軍総大将
- 石田三成(1560〜1600年)
- 場所
- 岐阜県不破郡関ケ原町(伊吹山南東麓)
- 現存する遺構
- 関ケ原古戦場跡(国指定史跡)
- 記念日認定年
- 2022年(令和4年)
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、岐阜県南西部の関ケ原で、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突しました。この一日で、天下の趨勢が決まりました。「天下分け目の戦い」と呼ばれるゆえんです。戦いの発端は、豊臣秀吉(1537〜1598年)の死後に生じた豊臣政権内部の権力争いです。秀吉の後継をめぐり、五大老・五奉行体制が崩れ始め、徳川家康(1543〜1616年)と石田三成(1560〜1600年)を中心とした対立が深まりました。両者はそれぞれ諸大名を取り込み、全国規模の合戦へと発展したのです。
当日の展開は、当初は西軍優勢と伝えられています。しかし、松尾山に布陣していた小早川秀秋(1582〜1602年)が突如、西軍の大谷吉継隊へ攻撃を仕掛けたことで形勢は一変しました。他の西軍諸将も相次いで東軍へ寝返り、西軍は崩壊。わずか半日ほどで戦いの決着がつきました。
この戦役の結果、家康は圧倒的な権力を手にし、1603年には征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開きます。以後260年以上にわたる徳川の世の礎となった関ケ原の戦いは、日本史上最大規模の野戦のひとつとされています。主戦場は現在、国指定史跡「関ケ原古戦場跡」として整備されており、各武将の陣跡が今も残っています。
現地では体験型施設「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建てられており、映像・音・振動を組み合わせたシアターで合戦当日の様子を追体験できます。また「関ケ原」という地名は、かつてそこにあった「関所」と「原っぱ」が由来との説があり、現代の「関東」「関西」という呼称もこの地を境にしているという説も残っています。
10月21日の「関ケ原合戦の日」は、岐阜県不破郡関ケ原町に事務局を置く一般社団法人・関ケ原観光協会が制定し、2022年(令和4年)に一般社団法人・日本記念日協会に認定・登録されました。合戦が行われた日を広く知ってもらい、歴史的な転換点となったこの地の活性化につなげることが目的です。
9月15日の他の記念日
9月15日のカレンダー情報
9月の二十四節気・雑節
- 白露(はくろ) 9月7日(月)
- 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
- 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
- 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
- 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
- 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)