「満州事変」勃発記念日 (記念日 9月18日)

「満州事変」勃発記念日
事件発生
1931年(昭和6年)9月18日
事件現場
奉天郊外・柳条湖付近(現:中国遼寧省瀋陽市)
主要計画者
板垣征四郎大佐・石原莞爾中佐(関東軍参謀)
満洲全土占領完了
約5か月
満洲国建国
1932年(昭和7年)3月
塘沽協定締結
1933年(昭和8年)5月31日

1931年(昭和6年)9月18日の夜10時半、奉天郊外の柳条湖付近で爆発音が響いた。関東軍高級参謀の板垣征四郎大佐と作戦主任参謀の石原莞爾中佐らが計画した鉄道爆破工作で、独立守備歩兵第2大隊の河本末守中尉が南満洲鉄道の線路に仕掛けた爆薬が起爆したのです。爆破後も列車はそのまま通過できるほどの軽微な被害でしたが、関東軍はこれを張学良軍による破壊行為と称し、直ちに北大営の中国軍への攻撃を開始しました。これが満州事変の幕開けとなった柳条湖事件の実態です。

翌19日には奉天市をはじめ南満洲鉄道沿線の主要都市が次々と占領されました。さらに9月21日には、朝鮮軍司令官の林銑十郎中将が政府の許可を得ないまま独断で部隊を越境させ、戦火は急速に拡大していきました。不拡大方針を掲げていた若槻礼次郎内閣も、9月22日の閣議でこうした軍の既成事実を追認し、予算支出を承認するに至りました。関東軍による満洲全土の占領はわずか5か月のうちに完了し、軍事的には異例の速さで進みました。1932年(昭和7年)3月には「満洲国」が建国を宣言し、清朝最後の皇帝・溥儀が執政(のちに皇帝)に就きました。国際連盟はリットン調査団を派遣し、1932年10月にその報告書を提出。報告書は日本の軍事行動を自衛とは認めず、満洲国を承認しないよう勧告しました。

1933年(昭和8年)2月、国際連盟総会で対日勧告案が採択されると、日本はその翌月に連盟脱退を通告しました。同年5月31日には塘沽(とうこ)協定が締結され、中国側が長城以南への撤退を認めることで戦闘は終息しましたが、日本の国際的な孤立はこの時期から深まっていきました。柳条湖での一発の爆発は、その後の日中戦争、そして太平洋戦争へと続く歴史の転換点として位置づけられています。

9月18日のカレンダー情報

六曜 先負
吉日 大明日、母倉日
月齢 7.0

9月の二十四節気・雑節

  • 白露(はくろ) 9月7日(月)
  • 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
  • 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
  • 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
  • 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
  • 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)