露月忌 (記念日 9月18日)
- 生没年
- 1873〜1928年(55歳)
- 本名
- 石井祐治(いしい ゆうじ)
- 出身地
- 秋田県河辺郡女米木(現:秋田市)
- 師
- 正岡子規
- 創刊俳誌
- 『俳星』(1900年、秋田)
- 別名
- 南瓜忌・山人忌
俳人でありながら、医師として、そして村政を担う議員として——石井露月(いしい ろげつ)は、俳句の世界と地域社会の両方に深く根ざした生涯を送りました。1928年(昭和3年)9月18日、脳出血のため秋田の自宅で55歳の生涯を閉じたこの日が「露月忌」です。露月がカボチャを愛したことにちなんで「南瓜忌(かぼちゃき)」、雅号の由来にちなんで「山人忌(さんじんき)」とも呼ばれています。晩年まで『瓦川』や『雲従』といった俳誌の刊行にも関わり、後進の育成を続けた露月の活動は秋田の俳壇に長く息づいています。カボチャを愛した素朴な風貌と、地に足のついた生涯が、「南瓜忌」という親しみやすい別名にも表れているようです。
露月は1873年(明治6年)、秋田県河辺郡女米木(めめき、現:秋田市)に生まれました。本名は祐治(ゆうじ)。農家の二男として育ちましたが、脚気(かっけ)を患い秋田中学校を中退。自宅で農業を手伝いながら療養するなかで、雨に濡れた若葉に月影が差す光景に心を打たれ、「露月」と号するようになります。病床でつちかわれた、自然を細やかに見つめる眼差しは、後の俳風の根幹となりました。
1893年(明治26年)、健康を回復した露月は文学を志して上京し、俳人・正岡子規に師事します。新聞『小日本』や『日本』の記者として活動しながら俳句の道を深め、1898年(明治31年)には医師試験に合格して帰郷。医業を営む傍ら、1900年(明治33年)には俳句雑誌『俳星(はいせい)』を島田五空・佐々木北涯らと創刊しました。誌名は子規が命名したもので、日本派の俳風を東北の地に広める拠点となりました。
露月の活動は俳壇にとどまりませんでした。貧困に苦しむ村の現状を目の当たりにした露月は青年会を組織し、1908年(明治41年)からは村会議員を務めること20年。夜学会や農事品評会を催し、村民の生活改善と村政の刷新に力を注ぎました。医師・俳人・議員という三つの顔を持ちながら、地域に骨を埋めた生き方は、同時代の文人のなかでも異色の存在感を放っています。
参考リンク
9月18日の他の記念日
9月18日のカレンダー情報
9月の二十四節気・雑節
- 白露(はくろ) 9月7日(月)
- 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
- 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
- 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
- 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
- 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)