南洲忌 (記念日 9月24日)

南洲忌
生没年
1828〜1877年(49歳没)
出身地
薩摩国鹿児島郡加治屋町(現・鹿児島市)
南洲(なんしゅう)
別称
西郷忌・隆盛忌
没地
城山(現・鹿児島市城山町)
墓所
鹿児島市・南洲墓地

1877年(明治10年)9月24日、西郷隆盛は鹿児島の城山で自刃し、49年の生涯を閉じました。「南洲忌(なんしゅうき)」は、西郷の号「南洲(なんしゅう)」にちなむ忌日で、「西郷忌」「隆盛忌」とも呼ばれます。幕末から明治初期にかけて日本史の転換点に何度も立ち会った人物の、最後の日です。西郷隆盛は1828年1月23日(文政10年12月7日)、薩摩国鹿児島郡加治屋町(現・鹿児島市)に生まれました。薩摩藩の下級武士の家柄でしたが、藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)に見出されて側近に抜擢され、以降の思想と行動に強い影響を受けます。ところが斉彬が急死すると西郷は失脚し、奄美大島へ流されました。

1862年(文久2年)に復帰した後、尊王攘夷派として活動しますが、公武合体派の島津久光(しまづ ひさみつ)と対立し、再び沖永良部島へ流されます。家老・小松清廉(こまつ きよかど)や大久保利通(おおくぼ としみち)の後押しで再度復帰を果たすと、1864年(元治元年)の禁門の変や第一次長州征伐では幕府側に立ち、藩論をまとめる役割を担いました。

その後、第二次長州征伐には反対して討幕派へと転じます。1866年(慶応2年)の薩長同盟成立、1868年(慶応4年)の王政復古を主導し、戊辰戦争では征東軍の参謀として勝海舟(かつ かいしゅう)と会見。江戸城の無血開城を実現させたことは、近代日本史上もっとも知られる交渉のひとつです。

薩摩に帰郷ののち、1871年(明治4年)に参議として新政府に復職し、陸軍大将・近衛都督を兼務して廃藩置県を推進しました。しかし征韓論をめぐる議論では遣韓使節による平和交渉を唱えて政府内で否決され、下野。鹿児島に戻り私学校を開いて教育に専念します。

1877年(明治10年)、私学校生徒による暴動をきっかけに西南戦争が勃発。西郷はその指導者となりましたが、新政府軍に敗れ、城山(現・鹿児島市城山町)で自刃しました。墓は鹿児島市の南洲墓地に置かれています。1889年(明治22年)には明治天皇から正三位が追贈され、名誉が回復されました。

9月24日のカレンダー情報

六曜 先負
吉日 神吉日、母倉日
月齢 13.0

9月の二十四節気・雑節

  • 白露(はくろ) 9月7日(月)
  • 秋分(しゅうぶん) 9月23日(水)
  • 秋の彼岸(ひがん)入り 9月20日(日)
  • 二百十日(にひゃくとおか) 9月1日(火)
  • 二百二十日(にひゃくはつか) 9月11日(金)
  • 秋の社日(しゃにち) 9月23日(水)