闘魂アントニオ猪木の日 (記念日 10月1日)

闘魂アントニオ猪木の日
本名
猪木寛至(いのき かんじ)
生年月日
1943年2月20日(神奈川県横浜市鶴見区)
逝去
2022年10月1日、享年79歳
新日本プロレス設立
1972年(昭和47年)
アリ戦
1976年、15ラウンド引き分け
参議院議員初当選
1989年、第15回参議院議員通常選挙

1976年、プロボクシング統一世界ヘビー級王者モハメド・アリと、プロレスラー・アントニオ猪木の異種格闘技戦が世界中に中継された。3ラウンド15回を闘い抜き、結果は引き分け。だが、その「引き分け」こそが、猪木が生涯をかけて証明し続けた「闘魂」の原点だった。

アントニオ猪木、本名・猪木寛至(いのき かんじ)は1943年(昭和18年)2月20日、神奈川県横浜市鶴見区に生まれた。5歳で父を亡くし、家業の石炭問屋は戦後のエネルギー転換の波に飲み込まれ倒産。13歳のとき、猪木は母・祖父・兄弟とともにブラジルへ移住した。サンパウロ近郊の農場で早朝5時から夕方5時までコーヒー豆を摘み続けるという過酷な生活の中でも、その肉体は確実に磨かれていた。陸上競技の砲丸投げで地元大会を制するほどの身体能力を、1960年にブラジル遠征中の力道山が見逃さなかった。直接スカウトを受けた猪木は日本へ帰国し、日本プロレスに入団する。プロレスラーとしての猪木は、既存の枠に収まることを拒み続けた。パキスタンの英雄アクラム・ペールワン、「熊殺し」の異名をとる空手家ウィリー・ウィリアムスとの異種格闘技戦に挑み続け、後年の総合格闘技(MMA)の礎を築いた先駆者として評価されている。1972年(昭和47年)には新日本プロレスを設立。「燃える闘魂」を掲げ、日本のプロレスを一時代の頂点へと押し上げた。1982年(昭和57年)、39歳の時に糖尿病を患い、血糖値は通常の5倍という診断を受けながらも、リングに立ち続けた。

格闘技の枠を超え、猪木はスポーツと政治を接続した人物でもある。1989年(平成元年)にスポーツ平和党を結成し、第15回参議院議員通常選挙に比例区で初当選。レスラー出身の国会議員という前例のない存在となった。「スポーツを通じて国際平和」を合言葉に、湾岸戦争時にはイラクへ渡り日本人人質の解放に尽力するなど、外交の舞台でもその行動力を発揮した。1998年(平成10年)4月4日、東京ドームでの引退試合に勝利し現役を退いた。

2022年(令和4年)10月1日、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のため、東京都港区の自宅で逝去。享年79歳。その命日にちなみ、「闘(10)魂Antonio I(1)noki」の語呂合わせから10月1日が「闘魂アントニオ猪木の日」として定められた。アントニオ猪木の肖像権・著作権を管理する株式会社猪木元気工場が制定し、2023年(令和5年)に日本記念日協会により認定・登録されている。

闘い続けた男の記念日が、10月1日に刻まれた。

10月1日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 一粒万倍日、天赦日、神吉日
月齢 20.0

10月の二十四節気・雑節

  • 寒露(かんろ) 10月8日(木)
  • 霜降(そうこう) 10月23日(金)
  • 秋の土用(どよう) 10月20日(火)