グレゴリオ暦制定記念日 (記念日 10月15日)
- 制定年
- 1582年
- 制定者
- ローマ教皇グレゴリウス13世(1502〜1585)
- 切り替え日
- 10月4日の翌日を10月15日に(10日飛ばし)
- 閏年の例外規則
- 100の倍数年は平年、400の倍数年は閏年
- 年間誤差
- 約26秒(3300年で1日のズレ)
- 日本の採用
- 明治5年(1872年)12月2日の翌日から
1582年10月4日の翌日は、10月5日ではありませんでした。ローマ教皇グレゴリウス13世の勅令により、その翌日は10月15日とされたのです。10日間が暦の上から消えたこの出来事こそ、グレゴリオ暦制定の瞬間でした。
それまで使われていたユリウス暦は、紀元前46年に古代ローマの独裁官ユリウス・カエサルが制定したものです。1年を365.25日と定め、4年ごとに閏年を設けるという仕組みは当時としては画期的でしたが、実際の太陽年(約365.2422日)とのあいだに1年あたり約11分14秒の誤差がありました。わずかな差に思えますが、128年で1日、1582年の時点ではじつに10日以上もズレが積み重なっていました。
この誤差が深刻な問題となったのは、キリスト教の重要行事である復活祭(イースター)の日程に関わっていたためです。325年のニカイア公会議で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定められた復活祭は、暦のズレによって天文学的な春分からどんどん離れていきました。カトリック教会にとってこれは神学的にも看過できない問題でした。
グレゴリウス13世は天文学者や数学者を集めて暦の改革を検討させ、1582年2月24日付の教皇勅書「インテル・グラウィッシマス」を発布しました。新しい暦では、まず累積した10日分の誤差を一気に修正するため10月4日の翌日を10月15日としました。さらに将来のズレを防ぐために、「西暦年が100で割り切れる年は閏年としない。ただし400で割り切れる年は閏年とする」という規則を加えました。この規則により、グレゴリオ暦の1年は平均365.2425日となり、誤差は3300年に1日程度まで抑えられています。
グレゴリオ暦はカトリック諸国から順次普及していきましたが、プロテスタント諸国や東方正教会の国々では抵抗も大きく、採用までに時間がかかりました。イギリスと当時の植民地が移行したのは1752年、ロシアは1918年の革命後まで待たなければなりませんでした。日本では明治5年(1872年)12月2日の翌日を明治6年1月1日とする形で導入されています。現在、グレゴリオ暦は国際標準として世界中で使われており、私たちが当たり前のように使っている「今日の日付」は、400年以上前の教皇の決断によって形づくられたものです。
10月15日の他の記念日
10月15日のカレンダー情報
10月の二十四節気・雑節
- 寒露(かんろ) 10月8日(木)
- 霜降(そうこう) 10月23日(金)
- 秋の土用(どよう) 10月20日(火)