日ソ国交回復の日 (記念日 10月19日)

日ソ国交回復の日
調印日
1956年(昭和31年)10月19日
調印場所
モスクワ・クレムリン
日本側署名者
鳩山一郎首相
ソ連側署名者
ブルガーニン首相
発効日
1956年12月12日
領土問題の扱い
歯舞・色丹は平和条約後引渡し、択捉・国後は棚上げ

1956年10月19日、モスクワのクレムリンで日本の鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が「日ソ共同宣言」に署名しました。第二次世界大戦の終結から11年が経過していましたが、日本とソ連の間には正式な外交関係がなく、法的には戦争状態が継続していました。この日の調印によって両国の国交がようやく回復し、外交関係が正常化しました。なぜ戦後11年もの間、国交が存在しなかったのか。1951年のサンフランシスコ平和条約でその答えがわかります。この条約には日本を含む49か国が署名しましたが、ソ連は調印を拒否しました。北方領土をめぐる利害対立に加え、冷戦構造のもとで米ソの対立が深まっていたことが背景にあります。以来、日ソ間には戦争終結を確認する法的文書が存在しないまま、時間だけが過ぎていきました。

転機をもたらしたのは国内外の政治状況の変化でした。1954年に発足した鳩山一郎内閣は、対米一辺倒の外交路線を見直してソ連との関係正常化を主要政策に掲げました。一方のソ連では1956年2月、フルシチョフによるスターリン批判が行われ、西側諸国との平和共存路線へ転換する動きが強まっていました。この双方の方向転換が交渉の扉を開きました。

しかし交渉は容易には進みませんでした。最大の障壁は北方領土問題でした。日本は択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の四島返還を主張しましたが、ソ連は歯舞群島と色丹島の引き渡しに応じる姿勢を見せつつも、択捉島と国後島については譲歩しませんでした。領土問題での合意が実現しないまま、両国は平和条約の締結を将来の課題として棚上げにし、国交回復のみを先行させる形で共同宣言に踏み切りました。

宣言には歯舞群島と色丹島について「平和条約締結後に引き渡す」と明記されましたが、その平和条約は2026年現在も締結されていません。北方領土問題は未解決のまま70年近くが経過し、日ロ関係における懸案であり続けています。日ソ国交回復の日は、外交的成果と残された課題の両面を同時に象徴する記念日です。

10月19日のカレンダー情報

六曜 大安
吉日 天恩日、月徳日、寅の日、不成就日
月齢 8.5(上弦の月)

10月の二十四節気・雑節

  • 寒露(かんろ) 10月8日(木)
  • 霜降(そうこう) 10月23日(金)
  • 秋の土用(どよう) 10月20日(火)